2020-01-01から1年間の記事一覧

新古今の景色(59)院政期(34)歌林苑(24)登蓮(1)鴨長明の視点

歌林苑会衆の登連法師の「ますほのすすき」の逸話は鴨長明の『無名抄』、兼好法師の『徒然草』などに引用され、「我こそは数寄者」と自認する人たちの関心を集めていたようだ。先ずは、『無名抄』から鴨長明の視点を窺うことにした。 「無名抄 16 ますほの…

新古今の景色(58)院政期(33)歌林苑(23)前大僧正覚忠(3)

摂関家の次男に産まれ、端からも羨まれる僧階のトップに登り詰めながら、生母の身分故に置かれた前大僧正覚忠の立場を推量しつつ、改めて「西国巡礼(西国三十三所の観音巡礼)」の事始めとされる下記の歌を読むと、漂泊と祈りに込めた作者の思いが伝わって…

新古今の景色(57)院政期(32)歌林苑(22)前大僧正覚忠(2)生母の身分

地下の僧俗の多い歌林苑会衆の僧は殆ど遁世聖で、何故僧階のトップを登り詰めた前僧正覚忠が参加していたのか、好奇心から少し掘り下げてみる事にした。 『千載和歌集』巻末の人名索引での覚忠についての記載は、 俗姓藤原、元永元年(1118)生、治承元年(1…

新古今の景色(56)院政期(31)歌林苑(21)前大僧正覚忠(1)

『千載和歌集』 巻第十九 釈教歌 三十三所観音拝(をが)みたてまつらんとて所々にまいり侍りける時、 美濃の谷汲(たにくみ)にて油の出づるを見てよみ侍りける 1211 世を照らす仏のしるしありければ まだともし火も消えぬなりけり 【世を照らすみ仏の霊…

新古今の景色(55)院政期(30)歌林苑(20)殷富門院大輔(3)

見せばやな雄島(おじま)の海人の袖だにも 濡れにぞ濡れし色は変はらず 【あなたに私の袖をお見せしたいわ。あの松島の雄島の漁師の袖さえも、濡れに 濡れたとしても色は変わらないというのに、私の袖は、血の涙で真っ赤に 染まってしまいました】 何とも情…

新古今の景色(54)院政期(29)歌林苑(19)殷富門院大輔(2)

殷富門院大輔は、藤原定家・西行・源頼政・寂蓮(※1)・隆信(※2)など多くの歌人と親交を深めたとされるが、ここでは寂蓮・隆信との交流の一端を紹介したい。 嘉応2年(1170)の『住吉社歌合』は、和歌の神社として尊ばれていた住吉社の社頭・藤原敦頼が…

新古今の景色(53)院政期(28)歌林苑(18)殷富門院大輔(1)

鴨長明の時代の「女房」とは宮中や院中でひとり住みの房(部屋)を与えられた高位の女官を指し、現在のキャリアウーマンを意味した。彼女たちは内裏や院御所に出仕して天皇・中宮・上皇・女院の傍近くに仕え、時に高位貴族たちと丁々発止のやり取りを交わし…

新古今の景色(52)院政期(27)歌林苑(17)二条院讃岐

わが袖は 潮干(しほひ)に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね 乾くまもなし 【私の袖は、引き潮の時にも見えない沖の石のように、 あの人は知らないでしようが 悲しみの涙で乾くひまもありません】 上記は、二条院讃岐が二条院の内裏歌壇にデビューし内裏御会な…

新古今の景色(51)院政期(26)歌林苑(16)平経正(2)

平経正の父平 経盛(たいら の つねもり)は、平忠盛の三男で清盛の異母弟に当たるが、生母の身分の低さもあって当初から異母弟の教盛・頼盛よりも昇進は遅かったが、父・忠盛から歌人としての素養を受け継ぎ、仁和寺御室守覚法親王(鳥羽天皇第五皇子)の仁…

新古今の景色(50)院政期(25)歌林苑(15)平経正(1)

平忠盛の三男で清盛の異母弟修理太夫(しゅりのだいぶ)経盛の嫡子・皇后宮亮経正は、平家一門の都落ちに際して、幼少時に過ごした仁和寺で御室(※)覚性法親王(鳥羽天皇第五皇子)に琵琶の才能を認められて賜った名器「青山」を返上するために仁和寺に駆け…

新古今の景色(49)院政期(24)歌林苑(14)源仲綱

源頼政の長男・仲綱は父と共に治承4年(1180)に宇治川の合戦で敗死して55才の生涯を終えたが、若い頃から父の薫陶を受けて歌道に勤しみ幾つかの歌合に座を連ね『千載和歌集』に16首入集している。 ここでは父子敗死の前年、治承3年(1179)10月18…

新古今の景色(48)院政期(23)歌林苑(13)源頼政(2)

音にのみ聞き聞かれつつ過ぎ過ぎて 見きなわれ見きその後はいかに(頼政) 【再会を待ち望んで、堪えがたい思いをしております】 恋ひ恋ひて見きわれ見えきその後は しのびぞかぬる君はよにあらじ(空仁) 【しかし、あなたはそれほどでもないのではありませ…

新古今の景色(47)院政期(22)歌林苑(12)源頼政(1)

清和源氏の棟梁で、治承4年(1180)に以仁王を奉じて平家に謀叛し、77才で敗死した源頼政(※1)については既に詳しく採り上げているので、 https://k-sako.hatenadiary.jp/entry/2020/03/25/153946 https://k-sako.hatenadiary.jp/entry/2020/05/29/2139…

新古今の景色(46)院政期(21)歌林苑(11)賀茂重保(2)

俊恵や祐盛とも親交を結び、歌林苑と深く関わった賀茂重保の歌人としての重要な実績の一つに、彼が神主を務めた上賀茂神社に月詣でする人々の歌を中心とした『月詣和歌集』の編纂が挙げられるが、その基礎となるものとして、同集の序に「しかれば、いそのか…

新古今の景色(45)院政期(20)歌林苑(10)賀茂重保(1)

『新古今和歌集』 巻第十七 雑歌中 俊恵法師身まかりてのち 年ごろ(長年)つかはしてける薪(たきぎ)など、 弟子どものもとへつかはすとて 1667 けぶり絶えて 焼く人もなき 炭竃(すみがま)の あとのなげきを たれかこるらむ 【煙も絶えて、焚く人も…

新古今の景色(44)院政期(19)歌林苑(9)藤原清輔(2)

ところで、藤原清輔の略伝は次のようなものである。 藤原清輔は長治元年(1104)に藤原顕輔男の息子として生まれ治承元年(1177)に74才で没した。弟に、重家、顕昭、季経がおり、極位は正四位下太皇太后宮太大進。 父顕輔より人麿影を授けられた事から歌道…

新古今の景色(43)院政期(18)歌林苑(8)藤原清輔(1)

元来、和歌に全く関心のない私であったが、動乱の最中に今様に狂い、失われた巻を含めれば本編10巻、口伝集10巻の長大な『梁塵秘抄』を編纂した後白河法皇への我ながら異常な関心を引き金に、院政期の社会・文化の探索を続けているうちに、祖父の気質を…

新古今の景色(42)院政期(17)歌林苑(7)俊恵(7)弟・祐盛(2)

俊恵の異母弟・祐盛法師は12才で比叡山で出家し、その後は伝法潅頂の秘法を伝授されて阿闍梨に登り詰めた高僧であるが、俊恵が主唱する「歌林苑」の会衆の一人となり『千載和歌集』に3首入集したが、『新古今和歌集』には一首も入集していない。 また、俊…

新古今の景色(41)院政期(16)歌林苑(6)俊恵(6)弟・祐盛(1)

先回の「千載集の源俊頼一家」から、俊恵を核にして六条源家三代の男子の進路・位階を以下のように整理してみた。 祖父:源経信 正二位大納言 父:源俊頼朝臣 従四位上木工頭 正室男子:源俊重 従五位上伊勢守 継室(後妻)男子:俊恵法師、東大寺の僧 生母…

新古今の景色(40)院政期(15)歌林苑(5)俊恵(5)千載集と俊頼一家

巻第一 春歌上 春立ちける日よみ侍りける 源俊頼朝臣 1 春のくる朝(あした)の原を見わたせば 霞もけふぞ立ちはじめける 【春がやってくる朝、あしたの原を見渡すと、春とともに霞も今日はたちはじた ことだよ】 ※従四位上、木工頭 巻第二 春歌下 花の歌と…

新古今の景色(39)院政期(14)歌林苑(4)俊恵(4)百人一首の六条源家

71 大納言経信 夕(ゆふ)されば門田(かどた)の稲葉おとづれて 葦のまろやに秋風ぞ吹く 【夕方になると、門前の田の稲の葉にさやさやと音をたてて、葦葺きの仮屋に、秋風が吹きわたってくる】 74 源俊頼朝臣 憂(う)かりける 人をはつせの山おろしよ …

新古今の景色(38)院政期(13)歌林苑(3)俊恵(3)下降の時代を生きる

ところで俊恵の六条源家三代の流れを見て私が感じたのは彼の生きた時代は「下降の時代」ではなかったかという思いだ。 (https://k-sako.hatenadiary.jp/entry/2020/06/10/104117) 2020年の現代においても「親の代より子の代の方がより豊かに」という時…

新古今の景色(37)院政期(12)歌林苑(2)俊恵(2)自薦の代表歌

さて、新古今歌人として無視できない足跡を残した俊恵であるが、正二位大納言源経信を祖父に持ちながら、生涯の大半を地下(※)の僧として暮らしたことも影響して、俊恵に関する消息や歌林苑での歌会を基に編纂したと伝えられる歌撰集などの大半が散失してま…

新古今の景色(36)院政期(11)歌林苑(1)俊恵(1)六条源家三代の歌人

『新古今和歌集』のパトロンであり、事実上の編纂者であった後鳥羽院は、歌論集『後鳥羽院御口伝』(※1)で源経信(※2)源俊頼(※3)俊恵(※4)に至る六条源家の歌人を高く評価し、近き世の歌の上手について述べる導入部に俊恵の祖父・源経信を挙げ、 「大…

新古今の景色(35)院政期(10)源頼政(10)歌筵映えの人・恋歌の名手

鴨長明は歌人としての源三位頼政を藤原俊成と彼の師・俊恵が高く評価していることを『無名抄』に記しているが、まずは『千載和歌集』で頼政の歌を14首採用した藤原俊成の頼政評を採りあげたい。 「55 俊成入道の物語 【五条三位入道(藤原俊成)が申され…

新古今の景色(34)院政期(9)源頼政(9)平家物語(2)源平辞世の句

『平家物語』第三十八句「頼政最後」は頼政の死の場面を次のように述べている。 〔宮(以仁王)を南都へ先発させ申して三位入道(頼政)以下は平等院の外に留まって敵を近づけぬように矢を射るものの、三位入道、八十歳になって戦をして右の膝口を射られて「…

新古今の景色(33)院政期(8)源頼政(8)平家物語(1)昇殿の歌・三位の歌

私の一方的な見方かもしれないが「平家物語」には源頼政について語る部分が多いように思われる。何故だろう。語り継ぐ琵琶法師達の中に頼政に感情移入した者が少なからずいたからではないか。 源頼政(1104年~1180年)は、武将としては破格の三位(…

新古今の景色(32)院政期(7)源頼政(7)内昇殿も喜び半ば

源頼政は自らの出世・昇進についての心情を極めて率直に詠む人らしく家集『頼政集』から幾つか採りあげてみたい。 先ずは、仁安2年(1167)に正五位下から従四位下に加階昇進したときの喜びを、 正下の加階して侍りし時 右馬権頭隆信(※1)がもとより…

新古今の景色(31)院政期(6)源頼政(6)内昇殿への渇望

源頼政は白河院政が開始されて19年目に当たる長治元年(1104)に仲政を父として誕生したが、参議以上の官、あるいは従三位以上の位階の補任を記した『公卿補任』によると、頼政の官僚としての経歴は白河院の時代に六位の判官代からスタートし、崇徳天…

新古今の景色(30)院政期(5)源頼政(5)歌合

源頼政は大小取り混ぜて様々な歌合に積極的に参加して歌人としての名を広めたとされるが、主なものは前回述べた寂然の父・藤原為忠が催した歌合を初め下記のようになる。 1 丹後守為忠朝臣家百首 2 木工権頭為忠朝臣家百首 3 右衛門督家歌合 久安5年6月…