【新勅撰はかくれごと候わず、中納言入道殿ならぬ人のして候はば、取りてみたくだにさぶらわざりし物にて候。さばかりめでたく候ふ御所たちの一人も入らせおはしまさず、その事となき院ばかり御製として候ふ事、、目もくれたる心地こそし候ひしか。歌よく候ふらめど御爪点合われたる、出さんと思召しけるとて、入道殿の選り出させ給ふ、七十首とかやきこえし由、かたはらいたやとうち覚え候ひき】
何とも歯に衣を着せぬ率直な言い回しであろうか。これは、出家後に播磨の国越部庄に隠棲した俊成卿女が、「越部禅尼消息」として定家の息子の為家宛に書かれた、後堀河天皇の勅命により『新勅撰和歌集(※1)』を撰進した藤原定家に関する文章である。
曰わく、
○『新勅撰集』は定家卿(新中納言入道)でない人が撰したのであれば手にも取りたく
ない。
○あれほど素晴らしい歌を読まれた上皇様たち(後鳥羽院・土御門院・順徳院)のだれ
一人も入集されず、
○それほど大した歌を詠んでもいない院たちが御製として載せられているのは目も眩む
心地がする。
○「集(※3)」にある歌は良いのでしようが、入道殿(藤原道家(※2))が削除す
べきとして爪印をつけた歌を定家卿が慮って削除した歌が七十首に及んだという噂を
知ると何と見苦しいことかと覚える。
(※1)新勅撰和歌集:後堀河天皇の勅命により藤原定家が撰進。20巻。文暦2年
(※2)藤原道家:九条 道家(くじょう みちいえ)は、鎌倉時代前期の公卿。太政大
臣・九条良経の次男。官位 は従一位・准三宮、摂政、関白、左大臣。九条家3
代当主。
(※3)集:新勅撰和歌集草稿本
参考及び引用文献:『異端の皇女と女房歌人~式子内親王たちの新古今集』
田渕句美子 角川選書