2021-10-01から1ヶ月間の記事一覧

新古今の景色(92)院政期(67)寂蓮の遁世(5)出家・遁世の時代

寂蓮の出家の背景については、歌の家「御子左家」の確立を目論む藤原俊成の要望で養子になったものの、俊成が49歳の時に誕生した定家こそ後継者にふさわしいと自ら身を引いたとの理由が一般的であるが、それはそれとして、私は当時が「出家・遁世の時代」…

新古今の景色(91)院政期(66)寂蓮の遁世(4)出家を巡る贈答歌

藤原定長が出家をして寂蓮と称したのは34才の承安2年(1172)頃とされるが、その直前の承安元年2月15日に嵯峨の釈迦堂(清涼寺)を詣でた折に、彼の出家の戒師を務めたとされる静蓮(※1)に出家を約した時に交わした次の贈答歌が『寂蓮集』に収めら…

新古今の景色(90)院政期(65)寂蓮の遁世(3)『歌仙落書』の評価

定長が出家する直前の承安2年(1172)に成立したとされる『歌仙落書』は、藤原公光・藤原清輔・徳大寺実定・藤原為経(寂超)・小侍従・殷富門院大輔・二条院讃岐など、当時の代表的な歌人20人の詠歌を収めたもので、定長もその1人として4首が収め…

新古今の景色(89)院政期(64)寂蓮の遁世(2)御子左家の後継時代

『尊卑分脈』(※1)によれば、藤原定長(寂蓮)は久安年間(1145~1150)の末頃、藤原俊成の養子になっている。この時、俊成には既に嫡男の成家がいたが、彼に歌道の御子左家(※2)を継がせる才能はないと見切りをつけた俊成が、当時12、3才な…

新古今の景色(88)院政期(63)寂蓮の遁世(1)中務少輔定長

鎌倉初期の歌人で後鳥羽院設置の和歌所の寄人となり、栄えある『新古今和歌集』の撰者に選ばれながら撰進の途中に没した寂蓮は保延5年(1139)頃に生まれ、建仁2年(1202)頃に64才で没したとされる。 寂蓮の俗名は藤原定長、醍醐寺の阿闍梨(※…