2021-05-01から1ヶ月間の記事一覧
素覚(※1)の息子・藤原伊綱(これつな)の生没年は未詳だが、建仁2年(1203)迄は生存したとされ、姉妹に皇嘉門院に仕えた尾張(※2)。五位中務大輔。治承2年(1178)「別雷社歌合」、正治2年(1200)『石清水若宮歌合』に出詠。『千載和歌集』初出、…
道因(※1)の息子の藤原敦仲(あつなか)は、生没年未詳で本名が憲成。父の道因(俗名・敦頼)の極官が従五位上右馬之助に対して敦仲の極官は従五位下式部大輔であった。治承2年(1178)『別雷社歌合』に出詠。道因は『現存集』(散失)を撰したのを継いで…
参河内侍は二条院に出仕していた頃は既に歌人として知られ、二条院から求められて詠んだ歌が『新古今和歌集』に採られている。 『新古今和歌集』 巻第七 賀 歌 二条院御時、南殿(なでん)の花の盛りに、歌よめと仰せられければ 733 身に代へて 花も惜し…
院政期は出家・遁世の時代でもあった。父あるいは夫が遁世したとき妻子の人生はどのような影響を受けるのか、は、私の関心の一つである。 例えば、保延6年(1140)、23才の若さで突然出家遁世して周囲を驚かせた西行には妻と幼い娘が居たが、西行の妻は夫…