新古今の景色(73)院政期(48)歌林苑(38)参河内侍(2)西行と二条院追悼

参河内侍は二条院に出仕していた頃は既に歌人として知られ、二条院から求められて詠んだ歌が『新古今和歌集』に採られている。 

 

          『新古今和歌集』 巻第七 賀 歌

    二条院御時、南殿(なでん)の花の盛りに、歌よめと仰せられければ

733 身に代へて 花も惜しまじ 君が代に 見るべき春の かぎりなければ

    【わが身にかえて、花を惜しむこともいたしますまい。我が君の

     御代に花を見るはずの春は これからも限りなく訪れましようから】

 

しかし、この歌に込めた「君が代に 見るべき春の かぎりなければ」の願いは、永万元年(1165)7月28日に、二条院が病の末に20代前半の生涯を終えたことで断たれることになった。

 

参河内侍の叔父・寂超が著わした『今鏡(※)』に「良き人は時世におはせ給はで、久しくもおはしまさざりけり」と記されたように誠に短い生涯であったが、和歌の保護者として望みをかけていた二条院の死を惜しんだ西行は、二条院の葬儀から50日余りすぎた頃に、院の墓を訪れ次の歌を霊前に捧げた。

 

  今宵君死出の山路の月を見て 雲の上をや思ひ出づらん

  【忌み月明けの今宵 君は死出の山路の月を見て 雲の上(雲居:宮中、皇居)を

   思っておられるでしよう】

                                  

さらに西行は二条院に仕えていた参河(三河)内侍と次のような歌を交わしている。

 

      御跡に三河内侍候ひけるに、九月十三夜、人に代わりて 西行

  隠れにし君が御影の恋しさに 月に向ひて音をや泣くらん

 

      返し                        内侍

   我が君の光隠れし夕より 闇にぞ迷ふ月は澄めども

 

続いて、『千載和歌集』に入集した参河内侍の歌を引用したい。

 

          『千載和歌集』 巻第十二 恋歌二

        忍ブル恋の心をよみ侍りける

740 衣手(ころもで)に落つる涙の色なくは露とも人にいはましものを

    【わが袖に落ちる涙が紅涙でなかったならば、これは露ですと人に

     言いまぎらわしたでしように】

 

          『千載和歌集』 巻第十四 恋歌四

        寄浦恋といへる心をよめる   二条院内侍参河

879 待ちかねてさ夜も吹飯(ふけい)の浦風に 頼めぬ波のを(お)とのみぞする

    【恋人の訪れをまちかねて夜も更ける吹飯の浦の浦風に、思う人ならぬ

     当てにもさせない波の音ばかりがすることだよ】

 

          『千載和歌集』 巻第十七 雑歌中

                       二条院参河内侍

1087 いかで我(われ)ひまゆく駒をひきとめて むかしに帰る道をたづねむ

     【何とかして私は、速やかに過ぎる時をとめて、昔に帰ってみたい】

 

(※)今鏡:歴史物語。藤原為経(寂超)の著。(1170)頃成立か。十巻。『大鏡』の後をうけて、万寿2年(1025)~嘉応2年(1170)、後一条天皇から高倉天皇まで13代145年間の本紀・列伝・拾遺を老女の話す体にした本。

 

参考文献: 『西行と清盛~時代を拓いた二人』 五味文彦著 新潮選書

      『新日本古典文学大系10 千載和歌集』 

              片野達郎 松野陽一 校注 岩波書店刊行

      『新潮日本古典集成 新古今和歌集』久保田淳 校注 新潮社