2022-02-01から1ヶ月間の記事一覧

新古今の景色(106)院政期(81)寂蓮の遁世(19)『千五百番歌合』(2)

寂蓮の次の歌も『新古今和歌集』(巻二・春下、一五四番)に入集しており、判者は釈阿(俊成)。 二百八十一番 左 有家朝臣 わぎもこがくれなゐぞめのいはつつじ いはでちしほの色ぞ見えける 【私のいとしい人の緋色に染めた衣 岩つつじは 何も言わないで 繰…

新古今の景色(105)院政期(80)寂蓮の遁世(18)『千五百番歌合』(1)

『千五百番歌合』とは後鳥羽院が主催した正治2年(1200)の『院初度百首』と同年の『院第2度百首』、及び建仁2年(1201)の『院第3度百首』を後に歌合として纏め、それに判詞あるいは判歌を付して史上最大の「歌合」にしたもので、この中から『…

新古今の景色(104)院政期(79)寂蓮の遁世(17)『正治院初度百首』(2)

次に『新古今和歌集』(巻第五 秋歌下 469番)にも採られた寂蓮の秋部の「露」を歌材に詠んだ次の歌を採りあげたい。 物思ふ袖より露やならひけむ 秋風吹けばたへぬものとは 【露は物思うわたしの袖の涙から習ったのだろうか。秋風が吹けば堪えかねて 散…

新古今の景色(103)院政期(78)寂蓮の遁世(16)『正治院初度百首』

正治から建仁期(1199~1203)は後鳥羽院の主導による仙洞歌壇が形成されていったが、その最初の催しが正治2年(1200)の『院初度百首』で、正治2年7月に後鳥羽院から寂蓮に『正治2年院初度百首』への沙汰があり寂蓮は8月に寂蓮百首歌を提…

新古今の景色(102)院政期(77)寂蓮の遁世(15)『六百番歌合』

『六百番歌合』は、55歳の寂蓮が配流された崇徳院御所跡を初めとする四国讃岐への詠歌行脚を終えて出詠した歌合で、建久4年(1193)に左大将藤原良経が催したものである。 この歌合は、歌人の詠進が同年の正月頃から始まり成立は同年秋から暮れ頃まで…