新古今の景色(103)院政期(78)寂蓮の遁世(16)『正治院初度百首』

正治から建仁期(1199~1203)は後鳥羽院の主導による仙洞歌壇が形成されていったが、その最初の催しが正治2年(1200)の『院初度百首』で、正治2年7月に後鳥羽院から寂蓮に『正治2年院初度百首』への沙汰があり寂蓮は8月に寂蓮百首歌を提出して、それ以降、寂蓮は後鳥羽院歌壇に欠かせない存在となった。

 

また、この『院初度百首』の詠歌から79首が『新古今和歌集』に入集した事からも、新古今時代の幕開けを告げるイベントだったといえる。

 

正治院初度百首』での詠進歌人は、後鳥羽院、惟明親王式子内親王守覚法親王、良経、通親、慈円、忠良、隆房、秊経、経家、俊成、隆信、定家、家隆、範光、寂蓮、生蓮、静空(実房)、讃岐、小侍従、丹後、信広の23名。

 

そして部立(ぶだて:部類)は、春20,夏15、秋20、冬15、恋10、羈旅5、山家5、鳥5、祝5の計100首で、詠進期日は8月25日、最終提出日9月30日とされ、11月23日に中島宮で披講が行なわれた。

 

そのなかから、寂蓮が本歌取りの手法を採り入れた夏部の「花橘」を歌材として詠んだ次の歌を採りあげてみたい。

 

            軒ちかき花橘のにほひきて ねぬ夜の夢は昔なりけり

          【軒下近くに花橘の良い香りがして、夏の夜の眠れないときに見た夢は

              昔のことを思い起こさせてくれるものだなあ】

 

この歌は『古今和歌集』(巻三・夏139番)、あるいは『伊勢物語』などに収められている次の歌を本歌としている。

 

             題しらず       よみ人しらず

    さつきまつ花橘のかをかげば 昔の人の袖のかぞする

           【五月を待って咲く花橘の香りをかぐと、昔親しかった人の袖の香りを

              思い出すよ】                

 

寂蓮はよほど「軒ちかき花橘」の一句が気に入ったのか『寂蓮集』にも次の歌を収めている。

 

            軒ちかき花橘やにほふらん 覚えぬものを墨染の袖

          【軒の近くにある花橘は良い香りを漂わせているであろうか、知らず知らず

             のうちに黒い僧衣となったことよ】

 

さらに興味深いことは、寂蓮の歌仲間である小侍従が同じ『正治院初度百首』で「花たちばな」を歌材に次のように詠んでいることだ。

 

        吹ききつる花たちばなの身にしめば 我も昔の袖のかやする

         【風が吹いてきて、花橘の香りが身に強く感じられたので、私も昔親しかった

             人の袖の香りがすることよ】

 

当時「待宵(まつよい)の小侍従」と称された恋歌の名手の小侍従は、石清水八幡宮別当・紀光清の娘、そして若い頃は見目麗しかったであろう寂蓮(俗名:定長)が31歳の仁安4年3月に石清水八幡宮の臨時祭で舞人を務めた事と合わせて考えると、寂蓮と小侍従の相聞歌の感じがするのは私の深読みでしようか。

 

参考文献:『日本の作家100人~人と文学 寂蓮』 半田公平 勉誠出版