新古今の景色(107)院政期(82)寂蓮の遁世(20)『和歌所影供歌合』

後鳥羽院は『新古今和歌集』撰集のために建仁元年(1201)7月27日に二条殿の広御所に和歌所を設置し、寂蓮は和歌所寄人の1人に選ばれた。

 

ここでは後鳥羽院が和歌所を設置した直後に初めて同所で催した『和歌所影供歌合』を採りあげたい。

この歌合は、和歌所設置直後の8月3日に披講されたもので、歌題は「初秋暁露」・「関路秋風」・「旅月聞鹿」・「故郷虫」・「初恋」・「久恋」の6題、歌人は36人、各題18番、計108番。判者は釈阿(俊成)で、判者の歌は衆議判、勝負付はされたが判詞は記されていない。

 

この歌合で目覚ましい成績を収めたのは後鳥羽院・良経・内大臣通親・慈円・釈阿、それに対して不振な成績だったのは定家・雅経・有家・讃岐そして寂蓮であった。

 

ここでの寂蓮の詠歌は各題6首で内大臣通親と競って持(引き分け)1、負4、無判1のまことに不面目な成績であったが、その中から「関路秋風」の歌を採りあげたい。

 

         三番    左勝       内大臣(通親)

    風の音やみにしむばかり聞ゆらん 心づくしのもじの関もり

          【秋風の音が身に強く感じられるほどに聞こえてくるよ、あれこれと深く

             気をもんでいるであろう門司の関守よ】

 

               右        寂蓮

    春やまたあふ坂こえん秋風に けふ立ちかへるしら川の関

           【春には再び逢坂の関を越えてくることであろう。秋風が吹き、今日昔に

             かえる白川の関守よ】

 

内大臣通親の「もじの関もり」歌の「門司関」は筑紫の国の歌枕で、福岡県北九州市門司区関門海峡の早鞆の瀬戸に設置された関所で、「筑紫(つくし)」の地名と「心づくし」を掛詞として詠んでいる。

対する寂蓮の「春やまた」の歌は、『後拾遺和歌集』に入集している能因法師の下記の歌の影響を受けているとみられ、逢坂の関(滋賀県大津市に設置されていた)と白河の関福島県白河市に設置されていた)を詠んでいる。

 

    みちのくににまかりくだりけるに、しらかはのせきにてよみはべりける

                   【陸奥国に下向しました時に、白河の関で詠みました。】

              みやこをばかすみとともにたちしかど 秋風ぞふくしらかはのせき

          【都を春霞が立つと同時に出発したが、いつのまにか秋風の吹く季節に

             なっていたよ。】

 

参考文献:『日本の作家100人~人と文学 寂蓮』 半田公