後鳥羽院は『新古今和歌集』撰集のために建仁元年(1201)7月27日に二条殿の広御所に和歌所を設置し、寂蓮は和歌所寄人の1人に選ばれた。
ここでは後鳥羽院が和歌所を設置した直後に初めて同所で催した『和歌所影供歌合』を採りあげたい。
この歌合は、和歌所設置直後の8月3日に披講されたもので、歌題は「初秋暁露」・「関路秋風」・「旅月聞鹿」・「故郷虫」・「初恋」・「久恋」の6題、歌人は36人、各題18番、計108番。判者は釈阿(俊成)で、判者の歌は衆議判、勝負付はされたが判詞は記されていない。
この歌合で目覚ましい成績を収めたのは後鳥羽院・良経・内大臣通親・慈円・釈阿、それに対して不振な成績だったのは定家・雅経・有家・讃岐そして寂蓮であった。
ここでの寂蓮の詠歌は各題6首で内大臣通親と競って持(引き分け)1、負4、無判1のまことに不面目な成績であったが、その中から「関路秋風」の歌を採りあげたい。
三番 左勝 内大臣(通親)
風の音やみにしむばかり聞ゆらん 心づくしのもじの関もり
【秋風の音が身に強く感じられるほどに聞こえてくるよ、あれこれと深く
気をもんでいるであろう門司の関守よ】
右 寂蓮
春やまたあふ坂こえん秋風に けふ立ちかへるしら川の関
【春には再び逢坂の関を越えてくることであろう。秋風が吹き、今日昔に
かえる白川の関守よ】
内大臣通親の「もじの関もり」歌の「門司関」は筑紫の国の歌枕で、福岡県北九州市門司区の関門海峡の早鞆の瀬戸に設置された関所で、「筑紫(つくし)」の地名と「心づくし」を掛詞として詠んでいる。
対する寂蓮の「春やまた」の歌は、『後拾遺和歌集』に入集している能因法師の下記の歌の影響を受けているとみられ、逢坂の関(滋賀県大津市に設置されていた)と白河の関(福島県白河市に設置されていた)を詠んでいる。
みちのくににまかりくだりけるに、しらかはのせきにてよみはべりける
みやこをばかすみとともにたちしかど 秋風ぞふくしらかはのせき
【都を春霞が立つと同時に出発したが、いつのまにか秋風の吹く季節に
なっていたよ。】
参考文献:『日本の作家100人~人と文学 寂蓮』 半田公