新古今の景色(35)院政期(10)源頼政(10)歌筵映えの人・恋歌の名手

鴨長明は歌人としての源三位頼政を藤原俊成と彼の師・俊恵が高く評価していることを『無名抄』に記しているが、まずは『千載和歌集』で頼政の歌を14首採用した藤原俊成の頼政評を採りあげたい。 「55 俊成入道の物語 【五条三位入道(藤原俊成)が申され…

新古今の景色(34)院政期(9)源頼政(9)平家物語(2)源平辞世の句

『平家物語』第三十八句「頼政最後」は頼政の死の場面を次のように述べている。 〔宮(以仁王)を南都へ先発させ申して三位入道(頼政)以下は平等院の外に留まって敵を近づけぬように矢を射るものの、三位入道、八十歳になって戦をして右の膝口を射られて「…

新古今の景色(33)院政期(8)源頼政(8)平家物語(1)昇殿の歌・三位の歌

私の一方的な見方かもしれないが「平家物語」には源頼政について語る部分が多いように思われる。何故だろう。語り継ぐ琵琶法師達の中に頼政に感情移入した者が少なからずいたからではないか。 源頼政(1104年~1180年)は、武将としては破格の三位(…

新古今の景色(32)院政期(7)源頼政(7)内昇殿も喜び半ば

源頼政は自らの出世・昇進についての心情を極めて率直に詠む人らしく家集『頼政集』から幾つか採りあげてみたい。 先ずは、仁安2年(1167)に正五位下から従四位下に加階昇進したときの喜びを、 正下の加階して侍りし時 右馬権頭隆信(※1)がもとより…

新古今の景色(31)院政期(6)源頼政(6)内昇殿への渇望

源頼政は白河院政が開始されて19年目に当たる長治元年(1104)に仲政を父として誕生したが、参議以上の官、あるいは従三位以上の位階の補任を記した『公卿補任』によると、頼政の官僚としての経歴は白河院の時代に六位の判官代からスタートし、崇徳天…

新古今の景色(30)院政期(5)源頼政(5)歌合

源頼政は大小取り混ぜて様々な歌合に積極的に参加して歌人としての名を広めたとされるが、主なものは前回述べた寂然の父・藤原為忠が催した歌合を初め下記のようになる。 1 丹後守為忠朝臣家百首 2 木工権頭為忠朝臣家百首 3 右衛門督家歌合 久安5年6月…

新古今の景色(29)院政期(4)源頼政(4)父・仲政(2)父子相和す!

次の歌は寂然法師(※1)と源頼政の父・仲政との間に交わされた贈答歌である。 父なくなりて後、常盤の里に侍りける比、やよひばかりに源仲正(仲政)が許に遣しける 寂念法師 〔春までもとはれざりける山里を 花さきなばと何思ひけむ〕 返し 仲政 〔もろとも…

新古今の景色(28)院政期(3)源頼政(3)父・仲政(1)歌人一家を成す

清和源氏の源頼光の曾孫に当る頼政の父・仲政(仲正とも書く)の生没年は未詳だが、三河守頼綱を父として治暦2年(1066)頃生まれ、崇徳天皇御世の保延3年(1137)以後に没したとみられる。 【清和源氏・源頼政の直系略図】 源満仲→頼光→頼国→頼綱→仲…

新古今の景色(27)院政期(2)源頼政(2)文武両道・源頼光の玄孫

平安時代に台頭した武士階級の中でも早くから京に昇り、いち早く公家貴族と積極的な接触を図り、強い絆を築いたのは源満仲の子の頼光・頼信ら清和源氏であった。 【清和源氏・源頼政の直系略図】 源満仲→頼光→頼国→頼綱→仲政→頼政→仲綱 なかでも源頼光が進出…

新古今の景色(26)院政期(1)源頼政(1)勅撰和歌集の常連

鴨長明が『無名抄』(55.俊成入道の物語、56.頼政歌道に好けること)で述べているように、当時最高の歌人であった藤原俊成と俊恵から歌人として大いなる賛辞を受けた源頼政の歌は従三位(じゅうさんみ)頼政の名前で『新古今和歌集』に次の3首が採ら…

新古今の景色(25)女房文学(18)赤染衛門(10)長寿の生涯歌人

長和元年(1012)2年ばかり病に伏していた夫の大江匡衡が61才で世を去り、この時赤染衛門は56歳であったが、宮廷ではおしどり夫婦として「匡衡衛門」と呼ばれる程仲睦まじかった夫を失ったのを機に出仕を辞し、落飾して信仰に生きながら母親として…

新古今の景色(24)女房文学(17)赤染衛門(9)栄華を支えた共稼ぎ(2)

ここで、藤原道長が詠じたとされる「この世をば 我が世とぞ思ふ望月の 欠けたることもなしと思えば」の望月の栄華について述べておきたい。 摂関期に道長が目指したのは関白ではなく摂政の地位であった。関白の機能は天皇へ助言する事にあるが、摂政は幼い天…

新古今の景色(23)女房文学(16)赤染衛門(8)栄華を支えた共稼ぎ(1)

赤染衛門が出仕した左大臣源雅信が長女倫子の夫として不承不承認めた藤原道長は、長兄の中関白道隆の死、直後に関白を引き継いだ次兄道兼の急逝、および日頃から道長に目をかけていた姉で一条天皇生母東三条院詮子の支援を受けて急速に権力の頂点に上り詰め…

新古今の景色(22)女房文学(15)赤染衛門(7)道長との贈答歌

私家集大成所収の榊原家本の『赤染衛門集(1)』には、藤原道長と赤染衛門の次のような贈答歌が収められている。 花さかりに雨いみしくふりしころ、 御前の花いかならんと思ひて殿にまいらせし 420 ちりやすきあめにやうつる桜はなみるまの色をたれにと…

新古今の景色(21)女房文学(14)赤染衛門(6)歌に見る夫婦愛

赤染衛門は貞元元年(976)頃に出仕を通して大江匡衡朝臣と出会い結婚したとされるが、その頃、匡衡の従兄弟の為基に淡い恋心を抱いていた赤染衛門に匡衡を強く薦めたのは彼女の母であったことは前回述べた。 ここでは、共に「中古三十六歌仙」の一人に選…

新古今の景色(20)女房文学(13)赤染衛門(5)初出仕と結婚

さて、赤染衛門の人生を、彼女の家集『赤染衛門集』『赤染衛門家集』に採集された歌も挿入しながらたどってみたい。 貞元元年(976)左大臣源雅信(道長の室・倫子の父)邸に20才で初出仕。 赤染衛門の初出仕の主は、宇多天皇の曾孫に当たる誇り高き左…

新古今の景色(19)女房文学(12)赤染衛門(4)出生

清少納言、紫式部、和泉式部と共に摂関期の後宮文学を彩った赤染衛門の注目すべき点は、女房というキャリアをほぼ定年まで勤め挙げた一方で、良妻賢母として夫や子供に情を尽くし、かつ、晩年は85才に至るまで第一線の歌人として活躍したところにある。 ま…

新古今の景色(18)女房文学(11)赤染衛門(3)赤染・式部(2)

ところで「俊頼髄脳」を引用して長明に和泉式部と赤染衛門のどちらが歌詠みの上手であるかを語ったある人は、先に述べた藤原公任の評価に二つの疑念を挙げている。 70 式部・赤染勝劣のこと(2)当時の歌壇と紫式部の評価 「一つ目の疑念、 公任大納言は…

新古今の景色(17)女房文学(10)赤染衛門(2)赤染・式部(1)

赤染衛門(※1)と言えば摂関期の女房歌人として何かと同僚の和泉式部(※2)と比較されていたようで、人の才能の評価とはどういう視点でなされるのか、鴨長明の『無名抄』(70 式部・赤染勝劣のこと)を引用しながら探ってみたい。 70 式部・赤染勝劣のこ…

新古今の景色(16)女房文学(9)赤染衛門(1)定子の父との贈答歌

やすらはで、寝なましものを小夜ふけて、傾くまでの月をみるかな この歌は藤原定家によって『百人一首』の59番に採られた赤染衛門の歌で、当時彼女の妹の許に通っていた若き貴公子藤原道隆少将(後の中宮定子の父)に贈ったものである。 その頃、赤染衛門…

新古今の景色(15)女房文学(8)清少納言のパトロンは道長か(4)

さて、いよいよ「道長は清少納言のパトロンか」の結論にせまりたい。 中宮定子付きの同僚女房たちから『少納言は左大臣道長方の人たちと通々なのだ』と疑われて居たたまれなくなり、出仕を退き実家で鬱々と暮らしていた清少納言の許に、定子から貴重な紙が届…

新古今の景色(14)女房文学(7)清少納言のパトロンは道長か(3)

さて、『枕草子136段』では、実家で里居する清少納言を訪れて、藤原道長に追い詰められ孤立状態の中宮定子を訪問して、健気に振る舞う定子や女房の様子を伝えながら「こういう時こそ貴方が中宮のお傍近くにいてお力になるべきですよ」と、優しい言葉で清…

新古今の景色(13)女房文学(6)清少納言のパトロンは道長か(2)

ところで、『枕草子 136段』では、 道長の猶子とも言われる源経房が、長い里居をしている清少納言を尋ねて、道長に追い詰められ厳しい暮らしに健気に耐える中宮定子と女房達の様子を語り、「こう言うときこそあなたがお側に仕えて支えるべきですよ」と次…

新古今の景色(12)女房文学(5)清少納言のパトロンは道長か(1)

長徳元年(995)4月 中宮定子の父・中関白道隆が43才で急逝 長徳2年(996)正月 道隆の息子伊周と隆家の従者が花山法皇に弓を射る 4月 伊周と隆家は九州に左遷され、定子の母方も失脚して 中関白家は壊滅状態に。 5月 左遷を拒み中宮御所に潜伏…

新古今の景色(11)女房文学(4)パトロン道長と和泉式部

和泉式部の『和泉式部日記』は、帥宮の死後に、生前の帥宮と親しかった道長の勧めによって書かれたとされている。 その『和泉式部日記』は、冷泉天皇の第三皇子の為尊親王と愛し合った和泉式部が、為尊親王の急逝に伴い、彼女を見舞った弟君の帥宮(敦道親王…

新古今の景色(10)女房文学(3)後宮文学のパトロン藤原道長

女房たちは毎日目前に天皇、中宮と高級貴族に接し交わってゆくうちに宮廷文化を身につけ、歴史や社会について学びながら人間観察の目を磨いてゆく。 特に中宮を中心とする後宮文学の隆盛は、複数の后が並び立ち、それぞれの后の後援者(父・兄弟)達が、天皇…

新古今の景色(9)女房文学(2)女房について

前回、女房には内裏女房、中宮女房、内親王(斉院・斉宮)女房等があると述べたが、しばしば摂関家及び受領階級などの家に仕える女房の他に、院政期には上皇・女院に仕える女房も生まれた。 そして、特に宮廷に仕える女房は現代における最先端のキャリアウー…

新古今の景色(8)女房文学(1)摂関期は後宮女房文化の時代

先回の『新古今和歌集』入集歌人の中から享年が70歳以上の女性歌人10人を拾い上げたところ以下の6人の女房歌人が含まれていることが浮かび上がってきた。 俊成卿女 82歳 29首 俊成の孫、後鳥羽院女房 赤染右衛門 80歳 10首 大江匡衡妻、 道長妻…

新古今の景色(7)長寿な女房歌人

ここまで『新古今和歌集』入集歌人をとりあげてゆくとやはり女性歌人にも目を向けなくてはならないだろうと思い、以下に享年が70歳以上の女性歌人10人を入集数と共に拾い上げてみた。 1 上東門院彰子 87歳 5首 道長の娘、一条天皇中宮 2 成尋阿闍梨…

新古今の景色(6)子女の長寿が築いた「望月の栄華」

ところで『新古今和歌集』の著者略歴から長寿者をピックアップしているうちに藤原道長の子女の長命さに目を留めることになった。 藤原道長 62歳 5首 摂政太政大臣従一位 上東門院彰子(娘) 87歳 5首 一条天皇中宮、 後一条天皇・後朱雀天皇の母、 後…