2023-01-01から1年間の記事一覧
「皇太后宮太夫俊成卿女」あるいは「俊成卿女」という女房名は、宮内卿・越前・大輔といった一般的な女房名と異なり、御子左家の、さらには、藤原俊成の後継者を示す家名に基づくもので、俊成卿女にとっては彼女の存在そのものを意味し、御子左家のあるいは…
健保元年(1213)年に43歳で出家した俊成卿女は暫くして洛中嵯峨に隠棲するが、それは、夫・通具と彼女の妹が相次いで他界した後の嘉禄3年(1227)頃と思われ、当時の定家の『明月記』には、その頃の俊成卿女について「嵯峨禅尼」あるいは「中院尼上」と…
同比、俊成卿女、出家すとて申しける ① 296 君が代の 春は千年と祈りおきて そむく道にも猶頼むかな (順徳天皇の長久を祈り) ② 297 忘るなよ 言の葉におく色もあらば 苔の袖にも露の哀を (出家後も私をお忘れにならないように、私はこれからも歌道…
『新古今和歌集 恋歌四』に採られた俊成卿女の歌は、前回述べた巻軸に置かれた二首だけではなかった。 『新古今和歌集 恋歌四』に採られた三首目の次の歌は、建永元年(1206)7月に後鳥羽院が和歌所で催した当座歌合の出詠歌で、その後に後鳥羽院が自ら『新…
定家が明月記に「歌芸によって院よりこれを召すことあり」と記した、和歌をもって歌壇で活躍することを責務とする専門歌人の登用は、男女を通じて、後鳥羽院歌壇で登用された宮内卿と俊成卿女が初めてであった。 それでは「歌芸によって」後鳥羽院に召された…
建仁2年(1202)7月13日、俊成卿女は後鳥羽院女房として院御所に初出仕をした。 この模様について藤原定家は『明月記』に 【「歌芸によって、院よりこれを召すとあり」と記し、和歌をもって歌壇で活躍することを責務とする専門歌人とし後鳥羽院から召され…
ここで、俊成卿女が土御門家の源通具に嫁いで以降の足取りを歌人としての側面から辿ってみたい。 20歳の頃の俊成卿女が源通具と結婚したのは、建久3年(1192)以前、むしろ建久元年(1190)頃とみられ、建久5年(1194)に女子を、正治2年(1200)に長男具…
祖父の藤原俊成から将来の御子左家を背負う女流歌人として育てられたと思える孫の俊成卿女は、建久元年(1190)頃に20歳で因幡守であった土御門家の次男源通具に嫁いでいる。 俊成卿女が、祖父俊成・叔父定家の主筋にあたる権門の九条兼実の政敵ともい…
既に「乱世の娘」で述べたように、俊成卿女は俊成卿の娘ではなく孫娘である。彼女は、藤原俊成と、大恋愛で結ばれた美福門院加賀との間に生まれた長女の八条院三条を母とし、藤原盛頼を父として生まれた。しかし、安元3年(1177)の鹿ヶ谷の変の首謀者とし…
相前後して後鳥羽院に見いだされて専門歌人として召された宮内卿と俊成卿女、歌壇へのデビューが15歳前後で後鳥羽院の大きな期待に押潰されてわずか5年足らずで夭逝した宮内卿、対して、後鳥羽院の期待と励ましを自信と創作エネルギー源として生涯におよ…
ここで『新古今和歌集』に入集した女流歌人の名前と入集歌数を一覧すると、 式子内親王49首、俊成卿女29首、二条院讃岐16首、宮内卿15首、 殷富門院大輔10首、宜秋門院丹後9首、小侍従・八条院高倉・七条院越前が各7首、 七条院大納言3首、信濃(後鳥羽院下…
離縁した夫・通具の実家の土御門家は、義父の通親と共に通具が揃って和歌所の寄人に任命されるほど和歌に長じた権門であった。 特に義父の通親は、若い頃の嘉応2年(1170)秋には自邸で歌合を催し、さらに同年催された「住吉社歌合」、「建春門院滋子北面歌合…
[乱世の娘] 実は俊成卿女は俊成卿の娘ではなく孫娘である。 彼女は、藤原俊成と、大恋愛の末に彼の後妻となった美福門院加賀との間に生まれた長女の八条院三条を母とし、藤原盛綱を父として生まれた。しかし、安元3年(1177)の鹿ヶ谷の変(※1)で、父盛親…
鴨長明は『無名抄』 「66 俊成卿女・宮内卿、両人歌の詠みやうの変はること」 に続いて、宮内卿の兄源具親(※1)について、共に和歌所寄人に任命された寂蓮の辛辣な評価を引用して次のように記している。 「67 具親、歌を心に入れざること」 寂蓮入道は…
ところで、後鳥羽院が最初に見いだしたのは宮内卿の兄・源具親(※)であった。建仁元年(1201)7月に後鳥羽院は寂蓮と共に具親を和歌所寄人として召し、その兄に続いて宮内卿も召されたのであった。 その当時の具親について、和歌所の事務長の源家長は『家…
後鳥羽院によって建仁元年(1201)に催された『千五百番歌合』で、十代最年少の専門歌人として臨んだ宮内卿が、藤原俊成以下の高名な歌人30人に伍して出詠。勝29、負26、持(引き分け)36の堂々たる成績で初舞台を飾った事は先回に延べた。 しかも、宮内卿…
宮内卿が後鳥羽院に見いだされたのは、正治2年(1200)頃で、父の村上源氏師光が、六条家に近い歌人として歌合で活躍し、『千載和歌集』に初入集、『新古今和歌集』に3首入集して、歌集『師光集』を著し、師光の父・師頼も、勅撰集『金葉和歌集』に初出、…