相前後して後鳥羽院に見いだされて専門歌人として召された宮内卿と俊成卿女、歌壇へのデビューが15歳前後で後鳥羽院の大きな期待に押潰されてわずか5年足らずで夭逝した宮内卿、対して、後鳥羽院の期待と励ましを自信と創作エネルギー源として生涯におよそ750首を詠み八十余歳まで歌人として生き抜いた俊成卿女。
「乱世の娘」「乱世の妻」として生きながら、動乱の時代に何故このように強靱な生涯を貫けたのか、この事を探るために、ここで、俊成卿の生涯を俯瞰してみたい。
俊成卿女は承安元年(1174)に生まれ、建長4年(1252)以降に八十余歳で没したとされ、彼女が後鳥羽院に見いだされて歌壇に登場したのは三十歳頃とみられる。
そこで、俊成卿女の生涯を歌人としての生成を軸に大掴みに次のように分けてみた。
第一期 (形成期) 後鳥羽院への出仕までの三十歳位まで
第二期 (完成期) 後鳥羽院歌壇の十年間
第三期 (進展期) 順徳天皇歌壇の十一年間
第四期 (円熟期) 承久の乱後の十九年間
第五期 (晩年) 越部に隠棲した十余年間
参考・引用文献:『異端の皇女と女房歌人~式子内親王たちの新古今集』
田渕句美子 角川選書