2021-11-17から1日間の記事一覧

新古今の景色(94)院政期(69)寂蓮の遁世(7)暴風に見舞われた嵯峨の庵

34才の藤原定長が承安2年(1172)に出家をして寂蓮と称した後の消息について、後鳥羽院に仕えて和歌所の事務長を務めた源家長は『源家長日記』で次のように記している。 「世の事わりは昔もおぼしめししりけめども、此比ぞみちみちにつけてはいづれも…