素覚(※1)の息子・藤原伊綱(これつな)の生没年は未詳だが、建仁2年(1203)迄は生存したとされ、姉妹に皇嘉門院に仕えた尾張(※2)。五位中務大輔。治承2年(1178)「別雷社歌合」、正治2年(1200)『石清水若宮歌合』に出詠。『千載和歌集』初出、2首入集、『新古今和歌集』1首入集。
『千載和歌集』 巻第十二 恋歌一
700 つれなくぞ夢にも見ゆるさ夜衣 うらみむとては返しやはせし
【夢の中で恋人は、冷ややかにそっけなく見えたことだ、
このように恨もうと思って裏返した夜の衣であろうか。
恋人に逢いたいと思って夜の衣を裏返して寝たのに】
『千載和歌集』 巻第十九 釈教歌
法華経序品(じょぼん)の心をよめる
1239 春ごとになげきしものを法(のり)の庭 散るがうれしき花もありけり
【春毎に花の散るのを歎いたものだが、説法の場には霊鷲山の釈迦説法の
座が連想されて散るのが嬉しい花もあったのだよ】
『新古今和歌集』 巻第二 春歌下
山家ノ三月尽(じん)をよみ侍りける
170 来ぬまでも花ゆゑ人の待たれつる 春も暮れぬるみやまべの里
【実際には来ないのに、花を見に人が訪れないかとつい待たれていた春も
暮れてしまった、山里のさびしさよ】
(※1)素覚:下記サイト参照、
https://k-sako.hatenadiary.jp/entry/2021/04/09/105109
(※2)尾張:生没年未詳。菅原在茂室。皇嘉門院(崇徳天皇の皇后、聖子。父は藤原
忠通)の女房。『千載和歌集』初出、1首、『新古今和歌集』1首入集。
『千載和歌集』 巻第十三 恋歌三
833 命こそを(お)のがものから憂かりけれ あれば人ぞつらしとも見る
【この命こそわがものでありながら、つらくままならぬものだなあ、生きて
いるからこそあの人を恨めしいとも見るのだから】
『新古今和歌集』 巻第十五 恋歌五
題しらず 皇嘉門院尾張
1400 歎かじな 思へば人に つらかりし この世ながらの むくいなりけり
【あの人がわたしに冷たいからといって歎きますまい。
よくよく考えてみれば、それは、私が他の人に薄情だったことに対する、
現世での報いだったのですね】
片野達郎 松野陽一 校注 岩波書店刊行
『新潮日本古典集成 新古今和歌集』久保田淳 校注 新潮社