新古今の景色(75)院政期(50)歌林苑(40)藤原伊綱~素覚の息子

素覚(※1)の息子・藤原伊綱(これつな)の生没年は未詳だが、建仁2年(1203)迄は生存したとされ、姉妹に皇嘉門院に仕えた尾張(※2)。五位中務大輔。治承2年(1178)「別雷社歌合」、正治2年(1200)『石清水若宮歌合』に出詠。『千載和歌集』初出、2首入集、『新古今和歌集』1首入集。

 

          『千載和歌集』 巻第十二 恋歌一

700 つれなくぞ夢にも見ゆるさ夜衣 うらみむとては返しやはせし

    【夢の中で恋人は、冷ややかにそっけなく見えたことだ、

     このように恨もうと思って裏返した夜の衣であろうか。

     恋人に逢いたいと思って夜の衣を裏返して寝たのに】

 

          『千載和歌集』 巻第十九 釈教歌

        法華経序品(じょぼん)の心をよめる

1239 春ごとになげきしものを法(のり)の庭 散るがうれしき花もありけり

     【春毎に花の散るのを歎いたものだが、説法の場には霊鷲山の釈迦説法の

      座が連想されて散るのが嬉しい花もあったのだよ】

 

          『新古今和歌集』 巻第二 春歌下

       山家ノ三月尽(じん)をよみ侍りける

170 来ぬまでも花ゆゑ人の待たれつる 春も暮れぬるみやまべの里

    【実際には来ないのに、花を見に人が訪れないかとつい待たれていた春も  

     暮れてしまった、山里のさびしさよ】

 

(※1)素覚:下記サイト参照、

    https://k-sako.hatenadiary.jp/entry/2021/04/09/105109

 

(※2)尾張:生没年未詳。菅原在茂室。皇嘉門院(崇徳天皇の皇后、聖子。父は藤原

    忠通)の女房。『千載和歌集』初出、1首、『新古今和歌集』1首入集。

 

          『千載和歌集』  巻第十三 恋歌三

833 命こそを(お)のがものから憂かりけれ あれば人ぞつらしとも見る

    【この命こそわがものでありながら、つらくままならぬものだなあ、生きて

     いるからこそあの人を恨めしいとも見るのだから】

 

          『新古今和歌集』 巻第十五 恋歌五

        題しらず            皇嘉門院尾張

1400 歎かじな 思へば人に つらかりし この世ながらの むくいなりけり

     【あの人がわたしに冷たいからといって歎きますまい。

      よくよく考えてみれば、それは、私が他の人に薄情だったことに対する、

      現世での報いだったのですね】

 

参考文献:『新日本古典文学大系10 千載和歌集』 

          片野達郎 松野陽一 校注 岩波書店刊行

     『新潮日本古典集成 新古今和歌集』久保田淳 校注 新潮社