新古今の景色(74)院政期(49)歌林苑(39)藤原敦仲~道因の息子

道因(※1)の息子の藤原敦仲(あつなか)は、生没年未詳で本名が憲成。父の道因(俗名・敦頼)の極官が従五位上右馬之助に対して敦仲の極官は従五位下式部大輔であった。治承2年(1178)『別雷社歌合』に出詠。道因は『現存集』(散失)を撰したのを継いで敦仲は『続現存集』(散失)を撰した。『千載和歌集』初出、2首入集。

 

次に藤原敦仲の『千載和歌集』の入集歌を引用したい。

 

          『千載和歌集』 巻第三  夏歌

   大宮前太政大臣藤原伊通)の家にて、夏ノ月秋の如しといへる心をよめる

218 小萩原まだ花さかぬ宮木のの 鹿やこよひの月になくらむ

    【一面の小萩がまだ花をつけぬ宮城野の鹿は、

                  今宵の月に秋を感じて(妻を恋うて)鳴くのだろうか】

 

          『千載和歌集』 巻第十九  釈教歌

1244 恨みけるけしきや空にみえつらん 姨捨山(をばすてやま)を

     照らす月かげ

     【恨んでいた様子が空に見えたのだろう。姨捨山(※2)を慈悲の月光が

      照らしている。授記(※3)されない叔母の恨みを釈迦は察して、慈悲の

      光で包んであげているのだ】

 

(※1)道因入道(だういんにゅうどう):俗名は藤原敦頼。寛治4年(1090)生まれで没年未詳。承安2年(1172)出家、治承3年(1179)には90歳で生存、寿永元年(1183)頃までには没。治部丞清孝の息子、従五位上左馬助。歌林苑会衆。『千載和歌集』初出、勅撰集40首入集。『千載和歌集』20首、『新古今和歌集』4首入集。 

下記参照: 

     https://k-sako.hatenadiary.jp/entry/2021/01/21/163638

     https://k-sako.hatenadiary.jp/entry/2021/02/04/105402

 

ところで資料を当たっているうちに、「広田社歌合」と「住吉社歌合」は道因が勧進したことが分かった。注目すべきは「広田社歌合」が催された承安2年(1172)は道因が出家した年であった。

 

(※2)姨捨山(おばすてやま):長野県北部、長野盆地にある山。正称は冠着(かむりき)山。田毎(たごと)の月で有名。棄老伝説の地。

 

(※3)授記:授記とも。〔仏〕仏が弟子の未来の成仏について予言すること。

 

参考文献:『新日本古典文学大系10 千載和歌集』 

              片野達郎 松野陽一 校注 岩波書店刊行