新古今の景色(65)院政期(40)歌林苑(30)道因(4)勅撰集から

ここでは、死後に『千載和歌集』に思いも掛けず多くの自作歌を採り入れてくれた撰者藤原俊成の夢に現れ、感涙で喜びを表現した道因を偲びながら、『千載和歌集』及び『新古今和歌集』から幾つか味わってみたい。

 

         『千載和歌集』 巻第一 春歌上

       花の歌とてよめる 

62 花ゆへ(ゑ)に知らぬ山路はなけれども まどふは春の心なりけり)

   【花を訪ねるゆえに、案内しらぬ山路はないけれども、心は春のために迷うこと

    だよ】

 

         『千載和歌集』 巻第五 秋歌下

371 大井河ながれてを(お)つるもみぢ哉(かな)さそふは峰のあらしのみかは

    【大井川の流れ落ちる紅葉の見事なことよ。そうだ、紅葉はこの流れの水にも

     誘われるのだ。誘うのは嵐山の峰のあらしばかりだろうか】

 

         『千載和歌集』巻第十三 恋歌三 【百人一首入集】

      題不知

818 思ひわびさても生命はあるものを 憂きに堪え(へ)ぬは涙なりけり

    【つれない恋人を思い歎いて絶え入るばかりだが、それでも命だけはあるのに

     そのつらさに堪えきれないのは涙で、たえずこぼれ落ちることだよ】

  

         『千載和歌集』 巻第十八 雑歌下

      五月五日菖蒲をよめる

1182 今日(けふ)かくる袂に根ざせあやめ草 うきは我身にありと知らずや

     【節会の今日掛けるこの袂に根を生やせ、菖蒲草よ。泥(うき)は

      私の身にあると知らぬのか】

 

         『新古今和歌集』 巻第四 秋歌上 

      題しらず

414 山の端(は)に雲のよこぎる宵(よひ)のまは 出でても月ぞなお待たれける

    【山の端に雲が横切って流れる宵の内は 月が出たあとでもやはりつい

     心待ちされてしまうよ】

 

         『新古今和歌集』 巻第六 冬 歌   

      題しらず

586 晴れ曇りしぐれは定めなきものを ふりはてぬるは我が身なりけり

    【晴れたり曇ったりして、しぐれは定まらないものなのに、ただひたすら老い

     古びてしまったのはわが身だなあ】

 

         『新古今和歌集』 巻第九 離別歌 

      遠き所にまかりける時、師光(※1)餞し侍りけるに

888 帰りこむほどを契らむと思へども 老いぬる身こそ定めがたけれ

    【ほんの一時的な旅の別れと思ってこらえているけれど 年をとると涙もろく 

     なって、人との別れはもとより、涙もとどめることができないよ】

 

         『新古今和歌集』 巻第十二 恋歌二     

      入道前関白太政大臣(※2)家歌合に 恋の涙の歌

1123 くれなゐに涙の色のなりゆくを いくしほまでと君に問はばや

     【涙の色はこのように紅になりました。いったい幾回までさらに

      濃く染めたらいいのか、あなたにお聞きしたいものです】

 

(※1)師光(もろみつ):源師光村上源氏。生没年未詳だが天承元年(1131)頃

              の生まれか。建仁元年(1201)には71歳で生存。具親、宮内卿の父。右京権

    大夫正五位下法名は生蓮。『新古今和歌集』に3首入集。

 

(※2)入道前関白太政大臣九条兼実

 

 

参考文献:『新日本古典文学大系10 千載和歌集』 

       片野達郎 松野陽一 校注 岩波書店刊行

    『新潮日本古典集成 新古今和歌集』久保田淳 校注 新潮社