源頼政の長男・仲綱は父と共に治承4年(1180)に宇治川の合戦で敗死して55才の生涯を終えたが、若い頃から父の薫陶を受けて歌道に勤しみ幾つかの歌合に座を連ね『千載和歌集』に16首入集している。
ここでは父子敗死の前年、治承3年(1179)10月18日に当時の右大臣九条兼実邸で催された『右大臣家歌合』での仲綱の歌に焦点を充ててみたい。
この歌合は、作者20名が各題10首ずつ計200首詠んだなかから選んだ60
首を番(つが)える「撰歌合」の形で行われたもので、撰者の藤原俊成は出家の身で
あったことから、撰歌や結審の場には列せず後日の判審であった。
ところで、この歌合では右大臣兼実が女房の名で出詠し、20名の作者のなかに歌林苑会衆が5名含まれているのが興味深い。
以下にこの歌合の概要と仲綱が出詠した歌を抜粋する(判詞は省略)。
【題】 霞 花 子規 月 紅葉 雪 祝 戀 旅 述懐
【歌人】(下線は歌林苑会衆)
左方:女房(兼実公) 皇太后宮大夫入道(俊成) 季經朝臣 隆信朝臣 行頼朝臣
師光 良清 俊恵 寂蓮 別當局皇嘉門院女房
右方:大貮入道 源三位頼政 經家朝臣 基輔朝臣 資隆朝臣 仲綱 資忠 顕昭
道因 丹後右府女房
≪3番≫ 持(引分)
左 寂蓮:〔たちかへり来(く)る年なみや越(こ)えぬらん 霞かかれる末(すえ)
の松(まつ)山〕
右 仲綱:〔満(み)つ潮(しほ)にかくれぬ沖の離(はな)れ石 霞(かすみ)にし
づむ春のあけぼの〕
≪27番 ≫ 左勝
左 女房(兼実):〔日を經(へ)つつ都しのぶの浦(うら)さびて 浪よりほかの音
づれもなし〕
右 仲綱: 〔宮城野の木(こ)の下(した)露を打(うち)はらひ 小萩かた
敷(し)きあかしつるかな〕
≪30番≫ 持(引分)
左 女房(兼実):〔寝(ね)ざめして思(おも)ひつらぬる身の憂さの 數にとふと
や鴫(しぎ)の羽(はね)がき〕
右 仲綱: 〔ふけにけるわがよのほどは元結(もとゆひ)の 霜を見てこそ
おどろかれけれ〕
私の感想:熟練歌人の寂蓮と兼実を相手に仲綱は大健闘している。
引き続いて仲綱の『千載和歌集』入集歌から次の2首を紹介したい。
巻第二 春歌下
97 山ざくらちるを見てこそ思ひ知れ たづねぬ人は心ありけり
【山桜の散るのを見て身にしみて感じたよ。花見に来ない人は思慮深い人だった
のだと。散る花を前にこんなつらい思いをしなくてもすむのだから】
巻第二 春歌下
128 身のうさも花見しほどはわすられき 春のわかれをなげくのみかは
【わが身の憂さも花を見ていた時は忘れられたことだ。花が散ってしまえば
慰められるものとてない。再び憂き身にたちかえるのもつらいことだよ】
参考文献:『人物叢書 源頼政』多賀宗隼 日本歴史学会編集 吉川弘文館
片野達郎、松野陽一 校注 岩波書店刊行