定家(俊成の息子) 80歳 権中納言正二位 46
美福門院加賀(定家の母) 70歳 美副門院女房 1
ここでは「新古今和歌集」に1首入集した藤原俊成の妻で定家の母・美福門院加賀について述べたい。
俊成と情熱的な恋で結ばれる前の美福門院加賀には出家して寂超となった先夫藤原為経との間に藤原隆信をもうけていて、俊成は信隆を手元に引き取って育てていた。
その隆信は若い時には寂連と並びたつ歌人であったが、晩年は和歌所寄人に選ばれながら『新古今和歌集』にわずか3首の入集という不面目に終わるが、歌人としては『千載和歌集』以下の勅撰集に67首入集し、家集『隆信朝臣集』『藤原隆信朝臣集』を著している。
ところで隆信の才能は和歌よりも絵の方にあったようで、似絵(肖像画)の名手として当時の宮廷で存在感を発揮し、神護寺蔵『国宝 伝源頼朝像』を初めとする肖像画を遺している。(http://k-sako.hatenablog.com/entries/2015/05/15)
さらには、隆信の息子の信実も似絵の名手となって、承久の乱で敗れて配流となった後鳥羽院の求めに応じて出家前の姿を描いた『国宝 後鳥羽天皇像』(水瀬神宮蔵)を初め、佐竹本『三十六歌仙』などの作品を描き、当時の宮廷で似絵師の一派を形成した。
「特別展 美麗 院政期の絵画」カタログより
信実も父隆信同様に歌人の才能を有しており、叔父・藤原定家の後ろ盾を得て『新勅撰和歌集』以下の勅撰集に132首入集している。
このように、藤原俊成の妻の美福門院加賀は、定家と隆信の二人の天才息子に囲まれて幸せな晩年を過ごしたようだ。
参考文献:『新潮日本古典集成 新古今和歌集 上・下』久保田淳 校注