新古今の景色(36)院政期(11)歌林苑(1)俊恵(1)六条源家三代の歌人

新古今和歌集』のパトロンであり、事実上の編纂者であった後鳥羽院は、歌論集『後鳥羽院御口伝』(※1)で源経信(※2)源俊頼(※3)俊恵(※4)に至る六条源家の歌人を高く評価し、近き世の歌の上手について述べる導入部に俊恵の祖父・源経信を挙げ、

 

「大納言経信 殊にたけもあり、うるはしくして、しかも心たくみに見ゆ」と述べて、『新古今和歌集』に経信の歌を19首採用している。

 

そして経信の次に俊恵の父・源俊頼を挙げ、

 

「又、俊頼堪能の者(もの)なり、哥(うた)の姿(すがた)二様(やう)によめり。うるはしくやさしき様(やう)も殊(こと)に多く見ゆ。又、もみもみと、人はえ詠(よ)みおほせぬやうなる姿(すがた)もあり。この一様(やう)、すなはち定家卿が庶幾(しょき:こいねがうこと)する姿なり。

  【うかりける人をはつせの山おろしよ はげしかれとは祈らぬものを】

この姿なり。又、

  【鶉鳴く眞野の入江の濱風に 尾花なみよる秋の夕暮れ】

うるはしき姿なり。・・・・」

 

と、述べ、『新古今和歌集』では源俊頼朝臣(みなもとのとしよりあそん)の名前で次の三首を含む11首を撰んでいる。

 

巻第一 春歌上  梅花遠ク薫ルといへる心をよみ侍りける

43 心あらば とはましものを 梅の花 たが里よりか にほひ来(き)つらむ

【現代語訳:もしも梅の花に心があるならば聞こうものを、「いったいだれの住む里から匂ってきたのだい」と】

 

巻第十三 恋歌三 初メテ会フ恋の心を

1164 蘆(あし)の屋(や)の しづはた帯の片結び 心やすくも うちとくるかな

【蘆葺(あしぶ)きの小屋に住む女が片結びに結んでいる賤機(しずはた)帯がとけやすいように あの子は心安くもわたしにうちとけたよ】

 

巻第十八 雑歌下 題しらず

1836 憂き身には 山田のおしね おしこめて 世をひたすらに うらみわびぬる

【引板(ひた)を張る山田の晩稲(おしね)のように、このうだつのあがらない身を山里にとじこめて、ただひたすら世を恨むことにもあきてしまっているよ】

 

ところで、俊頼の歌を高く評価したのは後鳥羽院だけではなかった。藤原俊成後白河法皇の命により『千載和歌集』を撰進したが、その勅撰集に自らの歌36首よりも俊頼の歌を最高の52首採用している。

 

さらに後鳥羽院歌人評は続き、俊頼の後に釋阿(藤原俊成)・西行・清輔と続けた後に、

 

「俊恵法師、おだしきやうに(おだやかな風に)詠みき。5尺のあやめ草に水をいかけたるように哥は詠むべしと申しけり。

【龍田山梢まばらになるままに 深くも鹿のそよぐなるかな】

釋阿優の哥に侍るともうしき」

と、「優美である」と評した藤原俊成のコメントを添えて俊恵を挙げ、『新古今和歌集』には12首採用した。

因みに、上記の歌は巻第五 秋歌下 題しらずとして納められている。

 

さらに後鳥羽院は『新古今和歌集』巻一春歌上に摂政太政大臣良経、後鳥羽院式子内親王宮内卿藤原俊成西行に挟まる形で俊恵の次の歌を配している。

 

  題しらず

 【春といへば 霞にけりな きのふまで 波間にみえし淡路島】

 

ところで、歌の家としての御子左家(藤原俊成→定家→為家)、六条藤家(藤原顕季→顕輔→清輔)に対して、源経信→俊頼→俊恵の家は「六条源家」と呼ばれた。

 

 

(※1)後鳥羽院御口伝(ごとばいんごくでん):後鳥羽院隠岐遷幸後に書かれたとされる歌論書。前半は「初心の人」への7箇条、後半は「ちかき世の上手」15人の歌人の批評が書かれている。

 

(※2)源経信(みなもとのつねのぶ):長和5年(1016)~正徳1年(1097)。宇多源氏。正二位大納言に至る。桂大納言と称した。『後拾遺和歌集』以下の勅撰集に86首入集。博学多才で音楽・詩・歌のいずれにも優れ、藤原公任とともに「三船の才」と称された。歌論書『難後拾遺』、家集『大納言経信集』を著す。享年82才。

 

(※3)源俊頼(みなもとのとしより):天喜3年(1055)~大治4年(1129)。源経信の息子。従四位上木工頭。享年75歳。白河法皇院宣により『金葉和歌集』を撰集。『金葉和歌集』以下の勅撰集に200余首入集。中古六歌仙。歌論集『俊頼髄脳』、家集『散木奇歌集』を著す。享年75才。 

 

(※4)俊恵(しゅんえ):永久元年(1113)~没年未詳、72才頃まで生存か。源俊頼の息子。17才で父と死別し東大寺の僧となる。京都白川の僧坊を「歌林苑」と称し、広い層にわたる数多の歌人が自由な雰囲気で歌を詠む一種の歌壇を形成した。鴨長明の師であり、俊成・定家とは異なる形で新古今歌風の樹立に影響を与えた。大夫公と呼ばれた。『詞花和歌集』以下の勅撰集に49首入集。家集「林葉和歌集』を著す。

 

参考文献:『日本古典文學大系65 歌論集 能楽論集 』久松潜一 西尾實 校注

                           岩波書店刊行

      『新潮日本古典集成 新古今和歌集』久保田淳 校注 新潮社