巻第一 春歌上
1 春のくる朝(あした)の原を見わたせば 霞もけふぞ立ちはじめける
【春がやってくる朝、あしたの原を見渡すと、春とともに霞も今日はたちはじた
ことだよ】 ※従四位上、木工頭
巻第二 春歌下
花の歌とてよめる 俊恵法師
93 み吉野の山した風やはらふらむ こずえにかへる花のしら雪
【み吉野の山の麓を吹く風が落花を吹き上げるからだろうか 雪のような花が梢
に吹き返るよ】 ※東大寺の僧、継室(後妻)の男子
巻第五 秋歌下
旅宿ノ檮衣といへる心をよめる 俊盛(しゅんしょう)法師
342 衣うつを(お)とを聞くにぞ知られぬる里とを(ほ)からぬ草枕とは
【衣を打つ音を聞くことでわかったよ。人里遠くない場所で草枕を結んでいる
のだと】 ※興福寺の僧、生母不明
菊の歌とてよめる 祐盛(ゆうせい、ゆうじょう)法師
349 あさな あさな まがきの菊のうつろへば 露さへ色のかはりゆくかな
【朝毎に垣根の菊が色あせ変色してゆくと、置く露まで合わせて色変わりする
ことだよ】 ※叡山阿闍梨、生母不明
巻第十七 雑歌中
司召(つかさめし)に伊勢になりけるを辞申(じしまうし)ける時
大僧正行尊がもとに遣(つかは)しける 源俊重
1089 いかにせむ伊勢の浜荻(はまをぎ)みがくれて 思はぬ磯の波に朽ちなん
【どうしたらよいのでしよう。伊勢の浜荻のようにそのまま水隠れて、今ま
で思いもよらなかった磯辺の波に朽ちることになってしまいましたら】
上記は、後白河法皇の命により藤原俊成が撰集した『千載和歌集』から六条源家の歌人
を拾い出す試みをしたところ、何と源俊頼と彼の4人の息子全員の歌が採られているこ
とが判明したので、彼らの名前とともに、それぞれの1首を述べてみた。
俊頼の歌を高く評価していた藤原俊成が『千載和歌集』に俊頼の歌を最高の52首採用
し、次に自らの歌を36首収めた事は既に述べたが、実際に『千載和歌集』を手にしてみて、俊頼の歌をトップに据えたことからも俊成の俊頼への並々ならない評価が実感できた。
それだけでなく、俊頼の次男の俊恵の22首、異母弟の祐盛法師の3首を含む息子4人全員が揃って名を連ねていたことにも改めて感慨を覚えた。
因みに藤原俊成の息子の定家の歌は8首収められているが、これは定家の勅撰和歌集へのデビューでもあった。
参考文献:『新日本古典文学大系10 千載和歌』
片野達郎・松野陽一 校注 岩波書店刊行