新古今の景色(46)院政期(21)歌林苑(11)賀茂重保(2)

俊恵や祐盛とも親交を結び、歌林苑と深く関わった賀茂重保の歌人としての重要な実績の一つに、彼が神主を務めた上賀茂神社に月詣でする人々の歌を中心とした『月詣和歌集』の編纂が挙げられるが、その基礎となるものとして、同集の序に「しかれば、いそのかみふりにし跡を学び36人の百首を集めて神の御たからにそなふ」と記されているように36人の歌人に百首歌の奉献を依頼した。

 

ここでの36人とは三十六歌仙の数にあわせたもののようで、①公卿②殿上人あるいは受領層③新興武家階層④僧侶⑤権門に仕える女房などの広い階層に亘る、次の歌人が含まれている。

 

藤原頼輔・経家・資隆・季経・資賢・隆信・実国・親盛・平経正・経盛・親宗・忠度・源有房・師光・惟宗広言・祝部成仲・鴨長明・殷富門院大輔・小侍従・二条院讃岐・皇太后宮大進・登連・覚綱・寂然・寂蓮。

 

時を経てみれば錚々たる歌人達であるが、賀茂重保が奉献を依頼した時点では歌の名手ではなく殆どが二流以下の歌人を撰んだとされている。その中でも際立っていたのは、大半が高齢者歌人の中で鴨長明だけが当時28才の青年だった事だ。

 

そしてこの『月詣和歌集』の編集に当たって賀茂重保は、俊恵の弟で既に老隠遁歌僧であった祐盛法師の協力を得て、自分たちの余命の短さを念頭に入れて短期日内に完成させたようで、成立は寿永元年(1182)10月頃であった。

 

しかし、賀茂重保も祐盛法師も自らの余命を読み違えたようで、『月詣和歌集』完成時の賀茂重保は64才、祐盛法師は65才だが、賀茂重保はその後9年、正治元年(1200)までは生存したとされる祐盛法師は18年も存命した。

 

参考文献:『鴨長明』 三木紀人 講談社学術文庫