71 大納言経信
夕(ゆふ)されば門田(かどた)の稲葉おとづれて 葦のまろやに秋風ぞ吹く
【夕方になると、門前の田の稲の葉にさやさやと音をたてて、葦葺きの仮屋に、秋風が吹きわたってくる】
憂(う)かりける 人をはつせの山おろしよ はげしかれとは祈らぬものを
【昔はそうでなかったのに 私につれなくなった人を どうかしてなびくようにと
初瀬寺の観音に祈りこそしたが 初瀬の山から吹きおろす山おろしの風よ、おまえが激しく吹きつけるように、あの人がますます激しくつらくなれとは、私は決して祈りはしなかったのに】
85 俊恵法師
夜もすがら 物思(ものおも)ふころは明けやらで 閨(ねや)のひまさへつれなかりけり
【一晩中つれない人のことを思って眠れずに物思いをしているころは 夜もなかなか明けようとしないで、寝室の戸の透き間までが無情に思われることよ】
上記の三首は藤原定家が撰集した『百人一首』(小倉百人一首)に収められた六条源家三代の歌人の歌である。
私がここで説明するまでもなく、天智天皇の「秋の田のかりほの庵(いほ)の苫(とま)をあらみ わが衣手(ころもで)は露にぬれつつ」で始まり、順徳院の「ももしきや古き軒端(のきば)のしのぶにも なほあまりある昔(むかし)なりけり」で終わる『百人一首』(小倉百人一首)は、13世紀前半(1235)頃に、藤原定家が万葉集時代から新古今の時代に至る約570年間の代表的歌人百人について一首ずつの歌を選び、年代順に配列したものですが、その百人の歌人の中に、大納言経信、源俊頼朝臣、俊恵法師の3人が揃って名前を連ねたところに、藤原定家の六条源家への高い評価が窺える。