新古今の景色(52)院政期(27)歌林苑(17)二条院讃岐

わが袖は 潮干(しほひ)に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね 乾くまもなし

【私の袖は、引き潮の時にも見えない沖の石のように、

あの人は知らないでしようが 悲しみの涙で乾くひまもありません】

 

上記は、二条院讃岐が二条院の内裏歌壇にデビューし内裏御会などに参加していた頃に出詠して「沖の石の讃岐」と称されるほど高い評価を得た歌で、後に『小倉百人一首』並びに「『千載和歌集』 巻第十二 恋歌二」にも採られている。

 

 

二条院讃岐は源頼政の娘で仲綱の同母妹。生没年は未詳だが、永治元年(1141)頃に生まれ、若い頃に二条院に出仕し、二条院没後は九条兼実の娘で後鳥羽院中宮(宜秋門院)任子に仕え、後に出家して健保5年(1217)に76歳で没したとされる。因みに宜秋門院丹後は従姉妹にあたる。家集『二条院讃岐集』。

 

二条院讃岐の歌人としての足跡は、永万元年(1165)頃に藤原顕輔が私撰した『続詞花集』に入集したのを始め、後鳥羽院花壇では正治2年(1200)の「正治初度百首」、建仁元年(1201)の「千五百番歌合(※1)」に名を連ね、『千載和歌集』に4首、『新古今和歌集』では式子内親王、俊成卿女に次ぐ16首が採られている。

 

下記は『新古今和歌集』入集歌から。

 

                                巻第二 春歌上

                百首歌たてまつりし時、春の歌に

130 山たかみ 峯のあらしに 散る花の 月にあまぎる あけがたの空

    【山が高いので、激しく吹く峯の山風に花が散り、

                 その花吹雪が月を曇らせている明け方の空】

 

 

                                 巻第六 冬 歌 

               千五百番歌合に、冬の歌

590 世にふるは 苦しきものを 真木の屋に 安くも過ぐる初しぐれかな

             【この世を生きてゆくのは苦しいことなのに、真木の屋にいかにも心安く音を

                たてて通り過ぎてゆく初しぐれですね】

 

(※1)千五百番歌合:後鳥羽院が当代の30人の歌人に百首ずつ詠進させて千五

百番とし、俊成、定家、良経、顕昭慈円など十人に判をさせた歌合。建仁2年(1202)から翌年にかけて成立。『新古今和歌集』の和歌資料となった。

 

参考文献:『新古今歌人論』安田章生著 桜楓社

     『新潮日本古典集成 新古今和歌集』久保田淳 校注 新潮出版