新古今の景色(50)院政期(25)歌林苑(15)平経正(1)

平忠盛の三男で清盛の異母弟修理太夫(しゅりのだいぶ)経盛の嫡子・皇后宮亮経正は、平家一門の都落ちに際して、幼少時に過ごした仁和寺で御室(※)覚性法親王鳥羽天皇第五皇子)に琵琶の才能を認められて賜った名器「青山」を返上するために仁和寺に駆けつけ、御室守覚法親王後白河天皇第四皇子)との別れに際して歌を交わしたエピソードが「平家物語」に次のように語られている。

 

[皇后宮亮経正は、幼少時に仁和寺の御室で過ごした事から、都落ちという慌ただしさの中の中にあっても、名残を告げようと侍5、6騎を伴に仁和寺に馳せ参じ、門前で馬から下りて『一門運尽きて今日都を退去することになり、この世に思い残すことは、ただただ君とのお名残だけです。』と中庭の白洲にかしこまれば、御室は速やかにお出ましになって、御簾を高く上げて『これへ』と召され、経正は御琵琶「青山」を御前にさしだして『御室で過ごした折に頂いた「青山」』、長く手元に置いて名残が惜しいものの、我が国においてこれほどの名器を田舎に埋もれさせるのは悔しゅうございます。万が一平家に運が開けて再び都に立ち帰る事ができましたらその時こそ再び頂戴させて頂きます』と泣く泣く申し上げれば、御室は哀れと思い、一首の御詠歌をお書きになって経正に下された。

 

   あかずしてわかるる君が名残をば のちのかたみにつつみてぞおく

   【別れがたく去ってゆくそなたの名残のこの琵琶を、後々までの形見として

    大切に包んでおくぞ】

 

  経正硯を下されて

   呉竹のかけひの水はかはるとも なおすみあかぬ宮のうちかな

   【お庭先の竹の筧(かけひ)の水は流れてもう昔に水ではありませぬが、

    それでもいつまでも変わらず澄んでおります。私もいつまでもこの御所に

    住んでお仕えしとうございました】]

 

(※)御室:宇多法皇の仙洞御所がありそれを御室と呼んだことから仁和寺の別称。

   またはその住職。代々法親王が入寺し、門跡寺院の首位にあった。

 

参考文献:『新潮日本古典集成 平家物語 中』水原一 校注 新潮社