新古今の景色(32)院政期(7)源頼政(7)内昇殿も喜び半ば

源頼政は自らの出世・昇進についての心情を極めて率直に詠む人らしく家集『頼政集』から幾つか採りあげてみたい。

 

先ずは、仁安2年(1167)に正五位下から従四位下に加階昇進したときの喜びを、

 

正下の加階して侍りし時 右馬権頭隆信(※1)がもとよりよろこびいひつかはすとて、

和歌の浦に立のぼるなる波の音は こさるる身にも嬉しとぞ聞〕

 

返し

〔いかにして立のぼるらんこゆべしと 思ひもよらぬ わかの浦波〕

 

さらに2ヶ月後に六条天皇より渇望していた内昇殿を許された時の喜びを、

 

かくてのみ過る程世はかはりて、当今(とうぎん)の御とき殿上ゆるされて これかれより悦の歌よみて遣はす

〔まことにや こがくれたりし山もりの いまはたちいでて 月をみるなり〕

 

しかし、60歳を過ぎて手にした加階・内昇殿も、平氏一族と比較するにつけ、喜びも次第に薄れほろ苦さが加わるりその心情を

 

歌林苑(※1)の会衆の藤原資隆からの祝い歌

〔位山のぼるにかねてしかるべき 雲の上までゆかんものとは〕

 

頼政の返し

〔翁(おきな)さび はふはふのぼる位山 雲踏むほどにいかがなるらん〕

 

中宮の大盤所よりの祝い歌

〔くらい山高くなりぬと見し程に やがて雲居にのぼるうれしさ〕

 

頼政の返し

〔のぼりにし位の山も雲の上も 年の高さにあわずとぞ思う〕

 

位階・昇殿したとはいえ、周囲を比べればいかに自分のそれが遅れているかを思うと喜びも半ばであろうが、こうして昇進を喜んでくれる人たちがいるということに頼政の人望が偲ばれる。

 

(※1)隆信:藤原隆信(1142~1205)平安時代末期から鎌倉時代初期の歌人として知られ、頼政とは歌林苑の仲間でもあった。また当代一の似絵(にせえ、肖像画)の名手として重用され、国宝「伝源頼朝像」(神護寺蔵)ならびに知恩院蔵の「隆信の御影」とよばれる法然上人像を残している。藤原定家とは異父兄にあたる。

 

(※2)歌林苑:源俊頼の息子で東大寺の僧の俊恵(1113~?)が平安末期に白川の僧坊で主唱した歌人集団。民間の和歌所として〔和歌政所〕とも呼ばれたこともあった。1156年頃から20年間に亘り、源頼政藤原隆信・賀茂重保・寂蓮・藤原清輔・鴨長明・小侍従・二条院讃岐・殷富門院大輔など地下の僧俗が集まり、メンバーを会衆(えしゅう)と称した。毎月例会の歌会の他に、会衆の送別の会や、柿本人麻呂の絵を飾って〔人麻呂影供〕など臨時の歌会をしばしば催した。

 

参考文献:『人物叢書 源頼政』多賀宗隼 日本歴史学会編集 吉川弘文館