新古今の景色(57)院政期(32)歌林苑(22)前大僧正覚忠(2)生母の身分

地下の僧俗の多い歌林苑会衆の僧は殆ど遁世聖で、何故僧階のトップを登り詰めた前僧正覚忠が参加していたのか、好奇心から少し掘り下げてみる事にした。

 

千載和歌集』巻末の人名索引での覚忠についての記載は、

俗姓藤原、元永元年(1118)生、治承元年(1177)没、60才。法性寺関白忠通男。大僧正天台座主三井寺長吏、嘉応元年(1169)には三井寺で歌合を主唱しているとある。

さらに付け加えるなら、法性寺関白忠通男の息子達には四男基実・五男基房・六男兼実・十一男慈円らがいて、覚忠は次男だから彼らの兄にあたる。

 

政界のトップに君臨した錚々たる弟達と比較して、名目は摂家の次男でありながら仏教界に生きる事を余儀なくされた覚忠、この分岐点は何なのか、ここで、生母の身分と子供の身分の相関関係を知るために、ウィキペディアの「藤原忠通」の系譜を基に次のように整理してみた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%BF%A0%E9%80%9A

 

正室:藤原宗子藤原宗通:正二位大納言の娘)。長女:藤原聖子は崇徳天皇中宮で後

   の皇嘉門院。三男:不明。

妻①:源信子(源国信:正二位権中納言の娘)、従二位・典侍。四男:近衛基実(近衛

   家始祖)

妻②:源俊子( 源国信:正二位権中納言の娘)。五男:松殿基房(松殿家始祖)。九

   男:信円(興福寺第44代別当)。

妻③:源俊子(源顕俊の娘)。次女:藤原育子は 二条天皇中宮

妻④:家女房加賀局(藤原仲光の娘)。六男:九条兼実九条家始祖)。十一男:

   慈円(第62世、65世、69世、71世天台座主

妻⑤:藤原基信の娘。長男:恵信、後に覚継(興福寺別当)。

妻⑥:家女房五条(源盛経の娘)。七男:尊忠。

生母不明の子女:次男:覚忠(第50世天台座主三井寺長吏・大僧正)。

※因みに妻①と妻②は姉妹。

 

こうして系譜を眺めると、摂関家の次男として生まれ、祖父の摂政関白藤原忠実や父の権力を背景に僧階のトップに登り詰めたとは言え、一家の中での兄弟間の格差がもたらす屈折感を思うと、前大僧正とはいえ覚忠が歌林苑の歌合に参加して心置きなく和歌や仲間との交流に興じたのも宜なるかなと思える。