新古今の景色(35)院政期(10)源頼政(10)歌筵映えの人・恋歌の名手

鴨長明歌人としての源三位頼政藤原俊成と彼の師・俊恵が高く評価していることを『無名抄』に記しているが、まずは『千載和歌集』で頼政の歌を14首採用した藤原俊成頼政評を採りあげたい。

 

「55 俊成入道の物語

 

【五条三位入道(藤原俊成)が申されることには、

今の世では、頼政こそ、頭抜けた歌の上手と云える。頼政さえ歌合の座に連なっておれば、衆目は自ずと彼に注がれ、『あー、また、彼にしてやられたなー』と思わせられるのである】

 

続いて歌林苑の主唱者で頼政と長い付き合いのある俊恵の頼政評を採り上げたい。

 

「56 頼政歌道に好けること

 

【俊恵が申しますには、

頼政卿は人並み外れた歌詠みの名人です。かれは、心の奥深く歌の心を持ち、どんな時でも歌を詠む心を忘れず、鳥が一声鳴き、風のそよと吹く音に、ましてや、花の散り、葉の落ち、月の出入りや、雨・雪などが振るにつけても、立ち居起き臥しも、常に歌の風情をめぐらさないという事はない。この姿こそ真に優れた歌が生まれる道理と思われます。

そうであれば、しかるべき時に名を挙げた歌などの多くは、前もって同じ歌題で幾つもの歌を詠んでおられたとか。

ほとんどの歌合の席に連なって歌を詠み、歌の良し悪しのことわりを述べる姿からも、歌を深く心に入れておられることがしのばれて素晴らしく、頼政卿が座に連なればどのような歌会も盛り上がりを見せるようです】

 

少し本筋から外れるが、宇多源氏の高貴な血を引く俊恵と、清和源氏の棟梁たる源頼政は、単に歌林苑の同志というだけではなく、平家全盛の時代に生きざるを得ない源氏の無常感を共有していたのではないかと私は思っている。

 

が、それはそれとして、藤原俊成が「頼政さえ歌合の座に連なっておれば、衆目は自ずと彼に注がれ」と言挙げし、俊恵が「頼政卿が座に連なればどのような歌会も盛り上がりを見せるようです」と強調した点は興味深い。

 

まさに頼政こそ、「歌筵映え」のする歌人であった。であればこそ多くの歌会から声がかかる歌人でもあったのだ。

https://k-sako.hatenadiary.jp/entry/2020/04/15/205206

 

ところで『花にもの思う春~白洲正子新古今集』で著者は『千載和歌集』に採られた次の2首を例に挙げ、共に題詠歌であるが、頼政のこれらの恋歌にはまだ王朝の気分が漂っているように思うと指摘している。

 

   題しらず    (千載和歌集663)

 

【思へどもいはで忍ぶのすり衣 心の中にみだれぬるかな】

【現代語訳:恋しく思っても、言わずに堪え忍んでいる。その「しのぶ」の摺り衣の模

様みたいに、心の中では思い乱れているのだ】

 

   後朝(きぬぎぬ)の恋の心をよめる    (千載和歌集805)

 

【人はいさ飽(あ)かぬ夜床(よどこ)にとどめつる 我が心こそ我を待つらめ】

【現代語訳:あなたが私を待ってくれているかどうか、さあそれは知らない。ともあれ、満足できずに去らなければならなかった夜の床に、私は自分の心を残して来てしまった。その心は私を待っているだろう。だからまた必ず逢いに行きますよ】

 

何と妖しく艶めかしい歌であろうか!!

 

著者は、さらに、家集『源三位頼政集』を見ると愛人との贈答歌が圧倒的に多く、頼政は老人になっても激しい恋をしたらしい、とも、述べている。

 

源三位頼政は存在感のある「歌筵映えの人」であったばかりではなく、手練れの「恋歌の名手」でもあったのだ。

 

参考文献: 『無名抄 現代語訳付き』久保田淳 訳注 角川文庫

 

     『『花にもの思う春~白洲正子新古今集』』白洲正子 平凡社