在俗時代の寂蓮が詠進した主な歌合は、『平経盛朝臣家歌合』、『実国卿家歌合』、『住吉社歌合』、『公通家十首会』、『宰相入道観蓮歌合』、『後徳大寺実定家結題百首』などが挙げられるがその中から『平経盛朝臣家歌合』と『住吉社歌合』を採り上げてみたい。
先ずは定長の歌合デビューともいえる『平経盛朝臣家歌合』から。
寂蓮が在俗時の「中務少輔定長」の名で初めて出詠したこの歌合は、仁安2年(1167)8月に、太皇太后藤原多子に仕えていた平経盛(※)によって催されたもので、出詠歌人は24名、判者は六条藤家の藤原清輔、歌題は、草花・鹿・月・紅葉・恋の五題で、定長はそれぞれの題に対して5首を詠進し、その結果は勝1・持(引分)1・負3であった。
ここでは、7番の歌題「草花」で、平経盛と姻戚関係を持つ六条源家の源有房が萩を、定長が女郎花を詠んで競い、定長が負けの判定を受けた歌と清輔の判詞を採りあげたい。
七番 左勝 右近少将源有房
萩がはな分けゆく程は古郷へ かへらぬ人もにしきぞをきる
【萩の花の咲いている野に分け入って進むうちは、故郷へ帰らない人も
錦の衣を着ることだ】
右 中務少輔定長
声たてて鳴くむしよりも女郎花 いはぬ色こそ身にはしみけれ
【声をあげて鳴く虫の声よりも、女郎花の口に出して言わないで、心に堪え
忍んでいることこそわが身にに深くかんじることだ】
判詞 藤原清輔
左、よく詠まれて侍り、右、いはぬ色とはいかなる色にか、くちなし色と思ひなさ
れたるにや心えがたくや、いかにも左勝にはべるめり。
【左の有房の歌は上手に詠まれている。右の定長の「いはぬ色」とはどのような色
であるのか。梔子(くちなし)色と思い込んだのであろうか。理解し難い。
まったく左の有房の歌が勝のようにおもわれる】
(※) 平経盛(たいらのつねもり):天治元年(1124)出生、文治元年(1185)壇ノ浦にて戦死、享年62才。平忠盛の三男として生まれ長子清盛は異母兄。藤原俊成・俊恵・源頼政・小侍従と交流した。
参考文献:『日本の作家100人~人と文学 寂蓮』 半田公平 勉誠出版
[余談]:確かに源有房の歌は素晴らしいと思うが、藤原清輔の定長の歌への「いはぬ色とはいかなる色にか、くちなし色と思ひなされたるにや心えがたくや」の評価は、判者自身の見えない物を感じるという想像力の欠如を露呈している。これでは新古今時代に淘汰されても仕方がないか。