『住吉社歌合』は寂蓮が出家する前の嘉応2年(1170)10月9日に、藤原敦頼が和歌の神社として尊ばれていた住吉社の社頭で催したもので、「社頭月」「旅宿時雨」「述懐」の三題を、定長を含む歌人50人が番えて、各歌題25番、計75番を競った歌合で、判者は定長の養父・藤原俊成であった。
この歌合での定長は、前斎宮(殷富門院)大輔と競い、持(引分)2、負1の成績に終わっているが、その中から定長が出家への迷いを吐露したのではと深読みしたくなる17番「述懐」の歌を採りあげたい。
17番 左勝 大輔
すみよしのなごのはまべにあさりして けふぞしりぬるいけるかひをば
【住みよしという名で名高い、住吉の名児の海の浜辺で魚や海藻などをとって、今日生きている価値を知ったことだ。】
右 定長
なげかじな よはさだめなきことのみか うきをもゆめとおもひなせかし
【嘆くことはないことよ。この世の中は無常であることだけであろうか。辛いことをも夢と思い込めよ。】
判詞 藤原俊成
左歌、こころしかるべし、すがた又ひとつの体なるべし、右歌も、ひとつの俗にちかき
すがたなれど、ことのみか、と、おき、なせかし などいへる、なほ むげにすてたる
ことばなり、左をこそはかつと申すべく
【右の大輔の歌は、趣がふさわしい。表現の方法もまた一つの様式である。右の定長の
歌も、一つの世俗的に近い表現の仕方であるが、「ことのみか」と置き、「なせかし」と
読んでいる。やはり捨てた表現である。左の大輔の歌を勝ちとするのがふさわしい。】
参考文献:『日本の作家100人~人と文学 寂蓮』 半田公平 勉誠出版