新古今の景色(82)院政期(57)歌林苑(47)下級貴族(1)藤原資隆

藤原資隆(すけたか)の本名は秊隆、法名は寂慧。生没年未詳で文治元年(1185)9月には存命。道兼流、従五位上重兼の息子。従四位下少納言。家集『禅林瘀葉集』。『千載和歌集』初出、2首入集、『新古今和歌集』1首入集。

 

藤原資隆についての消息は残されていないが、『千載和歌集』及び『新古今和歌集』入集歌から藤原資隆の人生の欠片をすくい上げてみたい。

 

先ずは、『千載和歌集』入集歌から、1234番の維摩経十喩(ゆいまぎやうじふゆ)を詠んだ歌と資隆の法名:寂慧を関連付けると資隆は晩年に出家したと思われる。

 

          『千載和歌集』 巻第六 冬歌

     雪の歌とてよめる       藤原資隆朝臣

449 しもがれのまがきのうちの雪みれば 菊よりのちの花もありけり

     【霜枯れの垣根の内の雪をみると、古人は菊より後の花はないといったが、

      菊のあとにも花が咲いていることだよ】

 

          『千載和歌集』  巻第十九 釈教歌

     維摩経十喩(ゆいまぎやうじふゆ)、此の身は夢の如しといへる心をよめる

1234 見るほどは夢も夢とも知られねば うつつも今はうつつと思はじ

     【見ている間は夢を夢だとは気づかないのだから、現実をも今は

      現実とおもうまい】

 

次に、『新古今和歌集』入集歌から、567番の詞書き「頼輔卿(※)家歌合に 落ち葉の心を」から、藤原資隆が歌林苑会衆に加わることになったのは、頼政顕昭・俊恵・俊成ら当代著名歌人を自邸に招いて歌合を主催していた頼輔卿(※)を通しであろうと思われる。

 

              『新古今和歌集』 巻第六 冬 歌

     頼輔卿家歌合に 落ち葉の心を

567 しぐれかと聞けば木の葉の降るものを それにも濡るるわがたもとかな

    【時雨かと思って耳を澄ませて聞くと、じつは木の葉の降る音だった。

     それなのに、それにもさびしくなっていつしか涙に濡れるわが袂よ】

 

(※)頼輔卿:大納言忠教の息子。母は賀茂神主成継女。権中納言忠基・参議教長らの弟。嘉応二年(1170)、刑部卿。養和元年(1181)、知行国豊後国に下向。同二年、従三位

歌人としては、永暦元年の太皇太后宮大進清輔朝臣歌合に出詠したほか、重家・経盛・実国らの家の歌合、住吉社・日吉社・別雷社などの社頭歌合に参加した。嘉応元年(1169)には自邸に頼政顕昭・俊恵・俊成ら当代著名歌人を招いて歌合を主催。また九条兼実主催の歌合などにも詠進している。家集『刑部卿頼輔集』。『千載和歌集』初出、勅撰入集二十九首。『治承三十六人歌合』に選ばれている。

また、蹴鞠の名手として飛鳥井家を興して『蹴鞠口伝集』を著わす。飛鳥井雅経の祖父。

 

参考文献:『新潮日本古典集成 新古今和歌集』久保田淳 校注 新潮社

     『新日本古典文学大系10 千載和歌集』                          

              片野達郎・松野陽一 校注 岩波書店刊行