新古今の景色(77)院政期(52)歌林苑(42)賀茂政平~歌に願いを

神官の賀茂政平の生年は未詳、安元2年(1176)6月没。神主成平の息子。四品片岡社禰宜。承安2年(1172)の『広田社歌合』、及び正二位大納言藤原実国、壇ノ浦で敗死した平経盛、藤原重家がそれぞれ開催した歌合に参加。『詞華集』初出、『千載和歌集』5首入集。

 

以下に『千載和歌集』入集歌から昇進願いを込めた歌を含めて4首を引用した。

 

          『千載和歌集』 巻第三 夏歌

       卯花蔵ス宅ヲといへる心をよめる

143 卯の花のかきねとのみや思はまし しづのふせにやけぶりたたずは

    【卯の花の垣根だけがあると思ったことだろうか、庶民の粗末な家から

     煙が立ち昇らなかったら】

 

          『千載和歌集』 巻第五 秋歌下

322 つねよりも秋のゆふべをあはれとは 鹿のねやにて思ひそめけん

    【さびしさは何にたとえよう。牡鹿の鳴くこの深山の里の明け方の

     空の情景よ】

 

          『千載和歌集』 巻第十八 雑歌下

       九月十三夜によめる

1189 暮の秋ことにさやけき月かげは 十夜(とよ)に余りてみよとなりけり

     【暮秋の澄んで見える月のなかでも格別さやかな月の姿は、豊かに余って

      見よという十三夜の月であったよ。】

 

          『千載和歌集』 巻第二十 神祇歌

       片岡祝(はぶり)にて侍りけるを、同(おなじき)社の禰宜

       渡らんと申(まう)しけるころ、よみて書き付け侍ける

1271 さりともと頼みぞかくるゆふだすき 我(わが)片岡(かたをか)の

     神と思へば

        そののちなむ禰宜にまかりなりにける

     【いくらなんでも今度は叶えてくれるものと頼みをかけて、木綿襷を

      掛けることです。私の方を贔屓にしてくれる片岡の神と思うので】

 

     結果的にこの歌に込められた賀茂政平の願いは叶えられ「そののちなむ禰宜 

     にまかりなりにける」との詞書きが添えられている。

 

     歌合の出詠歌や天皇上皇を含めた上官と交わす贈答歌に「昇進願い」や

     「昇進が叶わない愚痴」を歌い込む事は珍しくなかったようだ。