更に続けて『三体和歌会』での寂蓮の詠歌を見てゆきたい。
夏 太くおおきに読むべし
夏の夜の有明の空に郭公 月よりおつる夜半の一声
(夏の夜の明けようとする頃の空に、郭公の月の内より出てくるかと思われる
夜半の一声がする)
秋 からびほそく読むべし
軒ちかき松をはらふか秋の風 月は時雨の空もかはらで
(時雨の降っている音かと思って見ると、空の月は明るくて変わっていないで、
軒近くの松を払っているのか秋風の音のすることよ。)
冬 同前
山人のみちのたよりもおのづから 思ひたえねと雪は降りつつ
(山人の頼みとする道も跡絶えてしまって、いつのまにか思い切れと
雪は降り続いていることよ。)
恋 ことに艶によむべし
うきながらかくてやつひにみをつくし わたらでぬるるえにこそ有りけれ
(せつない嘆きのままで、こうして終わりには身をほろぼして、渡らないで
濡れてしまった江であることよ。実際には契りを交わさない浅い縁であり
なが ら、契りを交わしたようになってしまって、切ない嘆きのままでこう
してしま いには身を滅ぼしてしまうことよ。〕)
旅 同前
むさしのの露をば袖に分けわびぬ 草のしげみに秋風ぞふく
(武蔵野の草葉においている露をたやすく分けることができなかったことよ。
草の茂っているところに秋風が吹いて草葉の露を払ってしまうけれど、私の袖
の露(涙)は払うことのできないことよ。)
後に、後鳥羽院は、寂蓮の作歌姿勢および『三体和歌会』における詠歌を賞賛して『後鳥羽院御口伝』で次のように率直に記している。
『寂連は、なほざりならず歌詠みし者なり。あまり案じくだきし程に、たけなどいたくはたかくなりしかども、いざたけある歌詠まむとて、「龍田の奥にかかる白雲」と三躰の歌に詠みたりし、恐ろしかりき。
折りにつけて、きと歌詠み、連歌し、ないし狂歌までも、にはかの事に、故あるように詠みし方、真実の堪能と見えき』
参考文献:『日本の作家100人~人と文学 寂蓮』 半田公平 勉誠出版