新古今の景色(118)院政期(93)小侍従の遁世(3)恋模様(1)後白河院

                       小侍従

    泊まりゐて 返らぬけふの心をぞ 羨むものと我はなりぬる 

   【女院のもとにお泊まりになったまま、仙洞御所にはお帰りにならない

    院のお心を、ただ羨ましくのみみております】

 

                       後白河院

    世の常の栖(すみか)を洞(ほら)の内にして 返らむ人と君をなさばや 

   【仙洞に帰っていつもの生活に早く戻り、そこからかえさないように あなたを 

    してみたい】

 

上記の歌は小侍従の私家集「小侍従集」に載せられたもので、時期は高倉天皇在位の承安4年(1174)頃、高倉天皇の内裏に出仕していた小侍従が、後白河院最愛の后にして高倉天皇の母・建春門院滋子が主催した最勝光院での理趣三昧の聴聞に呼ばれたおりに、たまたま女院と同居中の後白河院に会って懐かしく思い、内裏に戻ってから上記の歌を建春門院邸に贈ったと記されている。

 

また、『古今著聞集(※)』にはこの歌のいきさつを裏付けるように、後白河院との仲を告白する次のような小侍従の懺悔物語が記されている。

 

 舞台は、仙洞御所ののどかな雑談の場で、テーマ「忘れがたい恋の思い出」を語るように後白河院から促された側近が次々に告白してついに小侍従の番になった。

 当時から恋多き女として知られていた小侍従の告白に期待した側近達が「あなたこそすばらしい告白を聴かせて下さる出しよう」というと、彼女は「おほ(多)く、候よ」笑って次のように告白したとされる。

 

「むかし、ある所から迎えの車をいただいたことがあったが、自分が全てを捧げたいほど夢中になっていたお方であったので、心乱れつつ急いでその車に乗って出かけた。

到着した場所に車を寄せると、薫き物の香りが御簾の中からなつかしく漂い、恋しいお方が御簾を上げておいでになり、私を着物ごとひしと抱きしめて、『何と遅いことよ』とおっしゃった。

 

 忘れがたい一夜があけて、わたしはそのお方と下着を取り替えて着たまま帰ってきたので、家に着いてその下着の香りを嗅ぎながら物思いに沈んでいると、無情のお使いが来て衣を取り戻していってしまった」

 

と、小侍従が告白すると、その告白に感動した後白河院をはじめ側近の人々が、相手の名前を明かせと責めてきたので、ようやく口を開いた小侍従の明かした名前が、天皇に在位した頃の後白河院その人であったので、人々はどよめきの声を上げ、当の後白河院はあたふたと奥に逃げ込んだと。

 

後白河天皇在位といえば、久寿2年(1155)から保元3年(1158)の頃で、小侍従が35歳か36歳のころと思われる。

 

写真は後白河院(右)と二条院(左)

 

 

(※)古今著聞集:ここんちょもんじゅう。鎌倉時代の説話集。20巻30編。

   橘成秊撰。建長6年(1254)成る。今昔物語集宇治拾遺物語・江談抄・

   十訓抄などの説話をも採り入れ、我が国の説話を題材別に分類収録。

 

参考文献 『女歌の系譜』 馬場あき子著 朝日選書、