新古今の景色(61)院政期(36)歌林苑(26)登蓮(3)

さて、鴨長明兼好法師という希代の識者を注目させた登連法師とは一体どのような人物であろうか、と、あれこれ調べてみたが、出自・系譜・生没年未詳で、判明したのは以下の事項。

 

・治承2年(1178)頃は生存。中古六歌仙、歌林苑会衆の一人。家集『登連法師集』。『詞華集』初出、勅撰入集19首、そのうち『千載和歌集』に4首、『新古今和歌集』に1首入集。

 

・仁安2年(1167)太皇太后宮亮経盛朝臣家歌合、承安2年(1172)広田社歌合、治承2年

(1178)別雷社歌合などに出詠。


・『歌仙落書』に歌仙として選ばれて八首の歌を採られて「風体たけ高くきらきらしく

また面白くも侍るなるべし」と賞讃されている。

 

・『新古今和歌集』・『続古今和歌集』所載歌によれば、筑紫へ下ったことがあり、この時、俊恵・源頼政・祐盛法師が悲別の歌を詠んでいるとされる。

 

次に『千載和歌集』並びに『新古今和歌集』に入集した登連の歌を味わいたい。

 

        『千載和歌集』  巻第十六 雑歌上

       年ごろ修行にまかり歩きけるが、帰(かへ)りまうで来て

       月前ノ述懐といへる心を読める

995 もろともに見し人いかになりにけん 月は昔にかはらざりけり

    【あの時一緒に見た人はどうなってしまったのだろう。月は昔と

     一向に変わっていないのだが】

 

        『千載和歌集』 巻第十七 雑歌中 

       述懐の歌よみ侍ける時

1121 かくばかり憂き世の中を忍びても 待つべきことのすえにあるかは

     【これほど憂い世を堪えて生きても、待った方がよいことが未来に

      あるだろうか。ありはしないものを】

 

        『千載和歌集』 巻第十八 雑歌下

       かさぎのいわ(は)や(笠置の岩屋)

1179 名にしを(お)はば常はゆるぎの森にしも いかでか鷺の寝(い)は

     やすく寝(ぬ)る

     【名の通りであるなら、いつも揺れているという「ゆるぎの森」で、どう

      して鷺は安眠できるのだろうか】

 

        『千載和歌集』 巻第十九 釈教歌

1235 おどろかぬ我が心こそ憂かりけれ はかなき世をば夢とみながら

     【迷いから覚めない自分の心は何ともいやなものだ。はかない世を夢と

      みなしているのに】

 

        『新古今和歌集』 巻第九 離別歌

882 帰りこむ ほどをや人に 契らまし しのばれぬべき わが身なりせば

    【もし、わたしが人に思い出されるような者だったら、帰ってくる時を言って

     再会を約しもしようが~わたしはそれほど人になつかしく

     思い出されるような人間とはおもわれません】

 

 

参考文献:『新日本古典文学大系 千載和歌集

            片野達郎 松野陽一 校注 岩波書店

            『新潮日本古典集成 新古今和歌集』久保田淳 校注 新潮出版

参考web:千人万首 asahi-net  

  https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/touren.html