新古今の景色(80)院政期(55)歌林苑(45)惟宗広言 和歌~今様(1)歌人

惟宗広言(これむねひろとき)は代々大宰府府官の日向守基言の子として生まれ、生没年未詳だが承元2年(1208)に75才で没したとされる。大宰少監を経て文治二年(1186)に五位筑後守。

 

広言は、崇徳院の近臣で保元の乱後に配流された藤原教長(※)、歌林苑、賀茂社関係歌合など幅広い歌人達と親交を深め、承安2年(1172) には、歌林苑の仲間の道因(藤原敦頼)の勧進により、道因自ら撰歌・結番して藤原俊成が加判した歌合を摂津広田社に奉納した「広田社歌合」で58名の作者のうちの一人として出詠している。

 

その他には、治承2年(1178)『別雷社歌合』、文治2年(1186)『大宰権帥吉田経房主催歌合』などに出詠し、文治3年(1187)『貴船社歌合』の出詠が最終事跡とされている。私撰集『言葉集』を編纂。家集『惟宗広言集』。『千載和歌集』初出、5首入集。

 

ここでは、惟宗広言の『千載和歌集』入集歌から以下の4首を引用した。

 

         『千載和歌集』 巻第二 春歌下

       山吹をよめる

116 いかなれば春を重ねて見つれども 八重にのみさく山ぶきのはな

    【年毎に春を重ねて見るけれども、どうして山吹の花は八重にばかり

     咲くのだろうか】

 

         『千載和歌集』 巻第五 秋歌下

323 さびしさをなににたとへんを鹿(じか)なく 山のさとのあけがたの空

    【さびしさは何にたとえよう。牡鹿の鳴くこの深山の里の明け方の

     空の情景よ】

 

         『千載和歌集』 巻第六 冬歌

       歳暮ノ述懐といへる心をよめる   惟宗広言

472 数ならぬ身にはつもらぬ年ならば けふのくれをもなげかざらまし

    【ものの数ではない身にはつもらぬ年であるならば、今日という年の終りの

     日をも歎かないであろうに】

  

        『千載和歌集』 巻第十五 恋歌五

934 はかなくぞのちの世までと契りける まだきにだにも変(かは)る心を

    【頼りなくも来世までと契ったことだよ、こんなに早くあの人は心変わり

     するものを】

 

(※)藤原教長(のりなが):

https://k-sako.hatenadiary.jp/entry/2021/04/21/172651

 天仁2年(1109)に師実流大納言忠教と大納言源俊明の娘との間に生まれ、参議左京大夫正三位に昇りつめたが、崇徳院の近臣であった事から保元の乱後に出家したものの捕らえられて常陸へ配流、応保2年(1162)召還され、治承4年(1180)頃没したとされる。法名観蓮。治承2年(1178)『別雷社歌合』出詠。家集『貧道集』。『才葉集』、注釈書『古今和歌集註』を著わす。『詞華集』初出、『千載和歌集』10首入集、『新古今和歌集』1首入集。

  

参考文献:『新日本古典文学大系10 千載和歌集』 

       片野達郎 松野陽一 校注 岩波書店刊行