源季広(すえひろ)の生没年は未詳だが、文治3年(1187)頃までは生存したとされる。醍醐源氏、木工権頭秊兼の息子。正五位下下野守に至る。嘉応から治承の間(1168~1181)の歌合に出詠。『千載和歌集』初出、1首入集、『新古今和歌集』1首入集。
当時の下級貴族や地下(※1)の消息が後世に知られることはないが、幸いにも『千載和歌集』や『新古今和歌集』などの勅撰和歌集に自作歌が入集すると、800年の時空を超えて私達の目に触れることもあるというのはうらやましい。
『新古今和歌集』1959からは、源季広が人生のあるときに『涅槃経』に心惹かれた事が窺える。
『千載和歌集』 巻第十七 雑歌中
花ノ歌とてよめる
1074 深く思ふことしかなはば来む世にも 花見る身とやならむとすらん
【この世で深く思うことが叶うのならば、来世でも花を見る身と
なるだろうか】
『新古今和歌集』 巻第二十 釈教歌
合会有(がふゑう)別離(※2)
1959 逢ひ見ても峯に別るる白雲の かかるこの世のいとはしきかな
【峯に懸る白雲がその峯に別れてゆく。そのように、逢ってもすぐに別れる
という定めのこの世がいとわしく思われるなあ】
(※1)地下:じげ、あるいは、ぢげ。清涼殿に昇殿を許されない官人、または家格。
一般に六位以下。昇殿を許される人々は殿上あるいは堂上。
(※2)『涅槃経』の句:(盛んなものには必ず衰えがある)相会う者には別離があ
るの意。
片野達郎 松野陽一 校注 岩波書店刊行
『新潮日本古典集成 新古今和歌集』久保田淳 校注 新潮社