紀康宗(きのやすむね)の生没年は未詳。紀氏、土佐権守光宗の息子。六位雅楽充。
紀康宗が勤めた雅楽寮(ががくりょう又はうたりょう)は、律令制で治部省に属し、宮廷音楽の楽人管理、歌舞教習などを司った役所。(うたのつかさ)とも。長官は雅楽頭。
本来であれば、六位紀康宗の官位では清涼殿への昇殿を許されない官人あるいは家格の地下(ぢげ)に属するが、貴人に歌舞を披露する雅楽充として殿上の栄誉に浴せたのではないか。
歌人としての紀康宗の成果は『千載和歌集』初出、以下の2首が入集。
『千載和歌集』 巻第六 冬歌
題不知 紀康宗
417 あか月のねざめにすぐるしぐれこそ もらでも人の袖ぬらしけれ
【暁け方の寝覚めに過ぎゆく時雨は、屋根を漏らさなくても
人の袖をぬらしたよ】
『千載和歌集』 巻第十六 雑歌上
月照スニ山水ヲといへる心をよめる
1016 もろともに秋をやしのぶ霜枯れの 荻の上葉(うはば)を照らす月かげ
【荻と一緒になって過ぎて行った秋を偲んでいるのだろうか。霜枯れの
荻の上葉を照らす月光は】
片野達郎 松野陽一 校注 岩波書店刊