赤染衛門は貞元元年(976)頃に出仕を通して大江匡衡朝臣と出会い結婚したとされるが、その頃、匡衡の従兄弟の為基に淡い恋心を抱いていた赤染衛門に匡衡を強く薦めたのは彼女の母であったことは前回述べた。
ここでは、共に「中古三十六歌仙」の一人に選ばれ、夫は『後拾遺集』以下の勅撰集に12首、妻は『後拾遺集』以下の勅撰集に93首入集した優れた歌人であった二人の私家集「赤染衛門集」と「大江匡衡朝臣集」から二人の間に交わされた贈答歌を通して夫婦愛をしのんでみたい。
おほやけ所なる女のうしろめたくおぼえて
虫のちをつふして身にはつけす共 思そめてし色なたかへそ
返し
むしならぬ心をたにもつふさては 何につけてか思ひそむへき
赤染衛門集から
ゆめゆめちびきの石(※)にてをといひたりしに
まつとせしほどに石とは成りにしを 又はちびきに見せわかでとや
かへし
松山のいしは動かぬけしきにて 思ひかけたるなみに越さるな
赤染衛門集から
おほやけどころにては えまゐらじなどといひて
住之江にはねうちかはす蘆鴨の ひとりにならむほどの秋風
かへし
はねかはすほども稀なるあし鴨の うきねながらも思ひ出やせむ
赤染衛門から
いまはたえにたりといふ所にありと聞きてやるみわの山のわたりにや
わが宿は松にしるしもなかりけり 杉むらならば尋ねきなまし
かへし
人をまつ山ぢわかれず見えしかば 思ひまどふにふみすぎにけり
【最後の贈答歌の場面は、夫の匡衡が稲荷の禰宜の娘と懇ろになって赤染衛門の許を久しく訪れないので、気を揉む赤染が匡衡が稲荷の禰宜の娘の所に滞在しているタイミングを見計らって歌を贈ったところ、それを読んで気恥ずかしくなった匡衡が赤染の許に戻り、その後は稲荷の禰宜の娘の所に通わなくなったという】
夫の浮気に直面しても取り乱すことなく優雅な歌を贈って夫の頭を冷やさせて円満に元の鞘に収まるという、贈答歌のコミュニケーション力を認識させられた。
(※)ちびき(千引)の石:千人で引くほどの重さの石