新古今の景色(20)女房文学(13)赤染衛門(5)初出仕と結婚

さて、赤染衛門の人生を、彼女の家集『赤染衛門集』『赤染衛門家集』に採集された歌も挿入しながらたどってみたい。

 

貞元元年(976)左大臣源雅信道長の室・倫子の父)邸に20才で初出仕。

 

赤染衛門の初出仕の主は、宇多天皇の曾孫に当たる誇り高き左大臣源雅信で、長女の倫子を将来は天皇の后にと考えて、和歌の名手平兼盛の血を引く赤染衛門を出仕させたとされる。

そして、この出仕を通して彼女は6才年上の大江匡衡と結婚と結婚している。

 

ところで、大江匡衡と結婚する前の赤染衛門は、匡衡の従兄弟で彼女と同世代の大江為基(文章博士従五位下・摂津守)と親密な交情を示す贈答歌をかなりの頻度で交わしたことが私家集に残されており、その中からいくつか取り上げてみたい。

 

    八講(※1)する寺にて       為基

おぼつかな君しるらめや足引の山下水のむすぶところを

   返し            赤染衛門

けふきくを衣のうらの玉にしてたちはなるをも香をば尋む

 

大江為基が病気の時赤染衛門が薬王品(※2)を書写して贈った歌 

  おなじ人わずらひしころ 薬王品を手づからかきて、これかたみに見よ くるしきをねんじてなむ書きつる後の世にかならず導けといひたりしに 

此の世より後の世までと契りつる 契りはさきの世にもしてけり

   返し             ためもと

ほど遠き此の世をさしていにしへに 誰ことでしてまず契りけむ

 

後に大江為基が法師になった時赤染衛門が若菜を贈った時の歌

  この人法師になりての頃 正月七日ひげこ(※3)にわかなを入れてやるとて 

春日野にけふの若菜をつむとても猶みよしのの山ぞ恋しき

    返し             

小夜更けてひとりかへりし袖よりも けふの若菜は露けかりけり 

 

赤染衛門は病弱であったが美男子の大江為基との結婚を望んでいたが、そんな彼女にしきりに言い寄ってくる大江匡衡を、赤染衛門の母が「結婚するなら美男子でも病弱な男より、醜男でも将来性のある男の方が良い」と強く薦めて押し切られたようだ。

 

(※1)八講(はっこう):「法華八講」の略。

(※2)薬王品(やくおうぼん):『法華経』の第二三品、「薬王菩薩本事品」の略

              称。

(※3)ひげこ:竹や針金などで作った籠で、編み残した端が髭のように出ているも

              の。

 

参考文献 『日本歌人講座 第二巻 中古の歌人久松潜一・實方清 編