新古今の景色(18)女房文学(11)赤染衛門(3)赤染・式部(2)

ところで「俊頼髄脳」を引用して長明に和泉式部赤染衛門のどちらが歌詠みの上手であるかを語ったある人は、先に述べた藤原公任の評価に二つの疑念を挙げている。

 

70 式部・赤染勝劣のこと(2)当時の歌壇と紫式部の評価

 

「一つ目の疑念、

公任大納言は和泉式部の方が赤染衛門よりも歌人として優れていると断じているが、当時のしかるべき歌の会や晴の歌合などでは、赤染の歌ばかりが選ばれて式部の歌は選から漏れる事が多かった。

 

二つ目の疑念、

式部の「暗きより暗き道にぞ入りぬべき、はるかに照らせ山の端の月」と「津の国のこやとも人をいふべきにひまこそなけれ蘆の八重葺き」の歌の優劣においては、「はるかに照らせ」の歌は詞も歌の姿も殊の外格調が高く、その上に情趣もあると評価する声が多かったのに、そのところを公任大納言はどのように感じられたのか、どうもはっきりしないのです」と。

 

ここでは二つ目の疑念は脇に置いて、一つ目の疑念について長明が解釈を試みたところ、式部と赤染の歌人として評価は藤原公任一人の評価で決まった事ではなく、世間の多くの人たちも式部の方が優れていると評価していたからこそ確定したのである。

 

但し、才能の評価は、本人が生きている間は作品そのものだけでなく、その人の日ごろの身の処し方によって左右される事が大きく、当時の歌壇では、歌において和泉式部は並ぶ者のない上手と見なされていいたが、日々の身の振る舞いや他人への心遣いなども加味して赤染衛門に高い評価を与えたようだ。

 

その一つの例として、長明は和泉式部赤染衛門と同僚だった紫式部の二人に対する評価を『紫式部日記』から次のように引用している。

 

和泉式部の人柄はとても感心できるものではない。しかし、文を書く事に置いては才能が感じられ言葉の端々に何かしら読む人の眼を留める趣があるが、歌人としては本当の歌詠みとは言えないのではないか。ただ口に任せた詞のなかに必ず人の耳をそばだてる気の利いた一節を添えているに過ぎない。

しかし、世の人は和泉式部を優れた歌詠みと思っているようだが、そこまで深く彼女の歌を掘り下げて評価している人はいないでしよう。和泉式部は、ただ単に口先だけで歌を詠む人のようだ。だからこちらが恥ずかしくなるほどの歌の上手とは思っていない。

 

丹波守の北の方(丹波大江匡衡(※)の妻赤染衛門)を宮(中宮彰子)や殿(藤原道長)の周辺では匡衡衛門(まさひらえもん)とお呼びしています。 

赤染衛門は際立った身分ではないが、まことに品のある歌詠みです。何かにつけて絶え間なく歌を詠みちらすようなことはないが、私の耳にした限りでは何気ない折節のことなどをこちらが恥かしく思うほどに見事な詠いぶりをされている」 

 

ところで、『新古今和歌集』は和泉式部の歌を25首、赤染衛門の歌を10首採用している。

 

(※)大江匡衡(おおえまさひら):平安中期の漢詩人・歌人従五位下文章博士式部大輔中古三十六歌仙

 

参考文献: 『無名抄 現代語訳付き』久保田淳 訳注 角川文庫