やすらはで、寝なましものを小夜ふけて、傾くまでの月をみるかな
この歌は藤原定家によって『百人一首』の59番に採られた赤染衛門の歌で、当時彼女の妹の許に通っていた若き貴公子藤原道隆少将(後の中宮定子の父)に贈ったものである。
その頃、赤染衛門は久しぶりに里下りをしていて、藤原行成卿筆の『和漢朗詠集』の書写をしていたが、ふとみるとそばにいた妹がいつの間にか姿を消して1時間ほど経ても戻ってこないので探しにゆくと、妹は寝待月(※)が頭上をかなりすぎて西の空に傾きかけているのに、ぽつんと一人座って月を眺めていた。
そういえば、昼頃に道隆少将から「今夜訪ねる」との文が届いていたのにも関わらず、一向に姿を現さない彼を妹は一途に待ち続けていたのであろう。
そんな妹が哀れにもいじらしくも思えた赤染衛門は、妹の待つ気持ちの切なさを彼女に代わって歌をしたため道隆少将に贈ったのである。
この赤染衛門の代筆歌の効果は覿面に現れ、次の夜の8時頃、道隆は随身二人を伴って馬で妹の元に駆けつけたものの、まだ暁とはいえない夜の暗いうちに「宮仕えは辛い」と言い訳しつつ去っていき、その後、道隆と赤染衛門の妹が結ばれることはなかった。
(※)寝待月(ねまちづき):月の出る時刻が遅いため寝て待つ満月から数えて4日目にあたる、陰暦19日の夜の月。また、陰暦20日前後の月。臥待月(ふしまちづき)とも。