新古今の景色(15)女房文学(8)清少納言のパトロンは道長か(4)

さて、いよいよ「道長清少納言パトロンか」の結論にせまりたい。

 

中宮定子付きの同僚女房たちから『少納言左大臣道長方の人たちと通々なのだ』と疑われて居たたまれなくなり、出仕を退き実家で鬱々と暮らしていた清少納言の許に、定子から貴重な紙が届けられたことを『枕草子第259段』で次のように記している。

 

【かつて、中宮定子や女房達と気さくなお喋りをしていた頃に『人生に腹が立ってむしゃくしゃして、地獄へでもどこへでも行ってしまいたいような気持ちになった時に、上等なものすごく白い紙に清らかな筆、あるいは白い色紙や陸奥紙などを得られれば、それだけで気分が良くなって、この紙があればしばらくは生きていても良いな』などと、私が上等な白い紙や、白地が際だつ高麗縁の紙などがあると気分が良くなることを話したのを中宮様が覚えていて下さって、『早く参上せよ』との文とともに素晴らしい紙20枚を包んだものを使いが届けてくれた】

 

ここには、口にした清少納言自身がすっかり忘れていた言葉を中宮定子が覚えていて、気鬱の日々を過ごす大事な使用人の気を晴れさせようと、これさえあれば清少納言がご機嫌になると自ら口にしていた貴重で高価な白い紙20枚(幅2尺1寸高さ1尺2寸)を遣いに届けさせたのだから、彼女が感極まって次のように記すのも頷ける。

 

【『このように口にするのも畏れ多い神(頂いた紙)のお陰で私は鶴(千年)も生きられそうです』と中宮様に申し上げて下さいませ、と、使いの雑仕女に青い綾の単衣を褒美に与えて帰らせ、この紙を冊子(下図)に造ったりしているうちに浮き浮きして鬱陶しさが消え、「をかし」と思うこころが生まれてきた】

 

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 そして、中宮定子から贈られた貴重な紙を得て清少納言はあれこれ思いつく事を書き続けることで日々の気鬱から解放されただけでなく『枕草子』に結実したのだ。

 

気鬱の部下に、当人にとって一番気が晴れる「何か」を与えて辛い環境から抜け出させる、定子が与えた貴重な白い紙は、結果的に清少納言にライティング・セラピーの処方となって彼女を立ち直らせた事になる。私も中宮定子のような部下思いの雇用主の許で働いてみたいものだと羨ましく感じた。

 

ところで、当時の女房文学のパトロンを見極める上での大きなポイントは、誰が料紙(紙)を提供したかが鍵になると私は考える。

 

紙自体は中国の発明品だが、それは布反故(使い古した布)を原料にしていたので色は黒ずんでいた。 

ところが、女房文学が咲き誇った時代に使用された白い紙は日本の技術の粋を極めた貴重品だった。当時の日本は楮(こうぞ)・三椏(みつまた)などの繊維を原料として使い始めてから、紙の技術が急速に進み、特に水の多い日本では「晒す」技術が発達したため「白い紙」が産出できた。

 

そして、この貴重で高価な「白い紙」をふんだんに使えるには権力者の後ろ盾がなければ叶わなかったのである。 

 

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枕草子絵から火鉢の前で斎院選子内親王からの手紙を読む中宮定子、右端は清少納言の場面』「日本の美術48号白描絵巻」至文堂より

 

参考文献:『新潮日本古典集成 枕草子』 萩谷 朴 校注