新古今の景色(14)女房文学(7)清少納言のパトロンは道長か(3)

さて、『枕草子136段』では、実家で里居する清少納言を訪れて、藤原道長に追い詰められ孤立状態の中宮定子を訪問して、健気に振る舞う定子や女房の様子を伝えながら「こういう時こそ貴方が中宮のお傍近くにいてお力になるべきですよ」と、優しい言葉で清少納言の出仕を促す源経房が描かれていたが、

 

枕草子跋文(後書)』の末尾では、その源経房が、実はとんだ食わせ者ではないか、と思わせる一面と、清少納言自身が道長方に通じたいと迷っているのではと思わせる状況が次のように記されている。

 

[左中将の源経房殿がまだ伊勢守であったころ、私が里居している伊勢の実家を訪れた時に、縁側に向けて廂の間の端っこに畳を差し出したところ、たまたま枕草子の原稿を載せていたものだから、私があわててそれを取り戻そうとする前に、経房殿がそのまま持って帰られて、しばらく経てから戻ってきたのですが、そのときに枕草子の存在が知られてしまったのでしよう]

 

この『跋文』の端切れの悪さは、経房が里居を訪れた日にわざと目に付くように「枕草子」の原稿を出して置いた清少納言に、うまくゆけば、この原稿が道長の目に触れて、道長方に出仕できるのではないかとの下心がなかったとは言い切れない心理が現れている。

 

いずれにしても、道長中宮定子と清少納言を引き離すことには至らなかったが、それは「后がね」の娘彰子の年齢が未だ9歳で入内には若すぎ、その時点で清少納言後宮女房として雇う必要性もなかったからとも解釈でき、他方では、道長の猶子とも云える源経房の頻回な清少納言訪問は、定子と清少納言の動向監視が目的だったのではないか、と、思わせる。

 

参考文献:『新潮日本古典集成 枕草子』 萩谷 朴 校注